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旅の歳時記 会津(2) 

会津にはきれいな桜の花が咲いていました

寺院イメージ

謹啓、暮春の候、皆様にはお健やかにお過ごしのこととお慶び申し上げます。
また、常日頃からお寺の護寺・運営に対し多大なるご理解とご協力を賜り、住職として衷心より深く感謝申し上げます。
先述しましたが、幕末の米沢藩の当主、上杉 鷹山公はこう言ったと聞きます。私はお寺の住職のあるべき姿だと思っています。
〃国家人民のために立たる君しに 君のために立たる国家人民はこれなく候〃
私はご門徒さまのためにおります。こんな私でよろしければ、できる範囲で精進して参る所存です。

今年は年明けからこれまで味わったこともない厳しい日程でした。(5月6日現在葬儀のみで60件が超えてきました。)でも、こんな私でもお役に立てるのであればと精進してきました。肉体的には年々疲労が増しています。合間を見つけてはひたすら体を休めています。
でも嫌ではありません。自分のいる場所がある人は有り難いんだよ、とご指導いただいたこともありました。時々嫌々法務をしておられる先生方を見受けますが、論外!嫌だったら誠心誠意勤めて下さる方と変わればいいのでは??と思うこともあります。
 
さて、私のいちばんいけないところ、私は忙しくなると気持ちが昂ぶり、冷静な判断ができなくなります。
ご門徒数2600件以上をお預かりする者としては、これではいけません。みなに迷惑を掛けてしまいます。
その気持ちをクールダウンするために、現実から離れ(出世間)旅に出ます。現実からズームアウトすると、ものごとの全体像が見えてきて、物事をより正しく見ることができて、深いレベルで、長期的なレベルで捉えられるようになるからです。 
今回の行く先はもちろん会津。会津に決めたのはわけがありました。
昨年は大河ドラマ「八重の桜」で独りで盛り上がっていました。以前放映された「天璋院篤姫」以来の盛り上がりでした。視聴率は半分くらいだったようですが、・・・。
昨年六月、あこがれの会津を訪ねることができて、すごく有意義な時間を過ごすことができました。ただ、訪ねたときのドラマは会津戦争前、帰寺してから会津戦争が始まりました。
その際に厳しい籠城戦を戦い抜いたある女性の言葉が気になりました。
「私は春の会津が大好きです。ゆっくりと春が来て、桜の花がさいて・・・」
ドラマのオープニングのタイトルバックは当然、桜吹雪。調べてみると実在する桜で「石部桜」といい、さらには桜の花が咲いている時期には、鶴ヶ城のライトアップがなされるとのこと。
そういうわけで会津の「桜」、とくに石部桜を見たくて会津行きを決めました。もちろん坊守さんには事後承諾です。(*^_^*)

当日は私の日頃の行いでしょうか?あいにくの小雨。福島空港での着陸もままならず、20分の遅れ。乗り合いタクシーで移動し会津若松駅へ。
それからタクシーを乗り換え、「石部桜」へ。着いたその時からその透き通るような美しさに目を奪われました。
観光客も多く、臨時にステージのような物が作られていました。会津のみなさまの純粋さというか、真っ直ぐさというか、そんな気持ちが表現されている素晴らしい桜でした。一見の価値あり、です。

次に相国寺へ向かいました。会津戦争終結後、会津藩士は賊軍として死体の埋葬が許可されませんでした。
白虎隊の藩士もしかり。それではしのびないと、ある農夫が人知れず白虎隊の隊士の亡骸をここのお寺に仮埋葬したとのこと。また、松平容保親子が会津戦争終結後、1ヶ月間謹慎をした場所でもありました。

ここのお寺もきれいな桜の花が咲いていました。
そののち飯盛山へと移動し、白虎隊の隊士同様に雨中の鶴ヶ城を遠くに確認をしました。 雨中の太夫桜(市の天然記念物)は雨粒に映えて、素晴らしい雰囲気を醸し出していました。白虎隊の無念の思いを表すかのように・・・。
嬉しいことがありました。
昨年立ち寄ったお土産物屋さんを再び訪ね、私が鹿児島から来たことを話をするとなんと当時の状況を覚えていて下さいました。すごく嬉しくなりました。一人ひとりと会津の方との知り合いが増えていきます。
「今日の日本があるのは会津の方々の犠牲のうえで成り立っているのでから、会津の方には崇敬の念を抱いているのです」と申し上げると大変よろこんで下さいました。
そののちは天寧寺へ。ここには会津藩家老、萱野 権兵衛のお墓があります。会津戦争終結後、新政府は戦争責任を時の家老三人に切腹を命じることで松平容保の助命嘆願が受け入れらました。上位二人の家老は既に戦死しており、萱野 権兵衛が戦争責任を一身に背負い切腹します。
「家臣が殿をおまもりし、命を使うのは武士の誉れ、だれにもこの役目を渡せない。」といったと聞きます。
かっこいい限りです。静かに手を併せ、その心意気を肌で感じました。
そののちホテルへ。昨年も宿泊しましたが、「御宿東鳳」さん。会津の名物料理をほとんどバイキング形式でいただけるレストランがあり、欲ばりな私には会津の名物を一つところで食せて、有り難い限り。
露天風呂の眺めも私が知っている温泉の中では間違いなくNo.1。当初の予定では一休みして食事をとり(まんじゅうの天麩羅があります)、鶴ヶ城の桜のライトアップに・・・と思っていたのですが、天候がすぐれなかったのと、(雨で桜の花が散ってしまう危険もありましたが、) 思ってたより疲れていたこともあり、欲張らず温泉に入って休むことにしました。

二日目、食事をとり松平家墓所へ。とても静かな山間に墓所はあります。今回のメインの二つ目です。
私は先達の墓参りによく行きます。それぞれの生き方を学ぶことで、おのれの生き方に参考になるからです。先達に一貫して言えること、無私・無我。仏教徒として多いに学ぶことができます。
そこで松平 容保公に語りかけてみました。
「どうしてそこまで愚直に生きることができたのですか?」
返ってきた答えは
「ならぬことはならぬのだよ」
私の生き方を改めて教えて下さいました。今の時代には基準となるものが必要である、と思いました。
ならぬことはならぬ、たとえそのことで損をしたとしてもぶれない生き方をしなければいけない、と思うことでした。
私たち僧侶で言えば、〃経済の論理に惑わされない〃といったところでしょうか?いい言葉です。
同じ維新の英傑に、薩摩では西ク隆盛、大久保利通等々がいます。大義のために戦ったのだと思いますが、私の感覚では少し松平容保とは違うのかな、と思います。
いずれも〃策を弄している〃から。あまり好きには成れないのが本音です。
そののち、武家屋敷→松平家別荘「御薬園」へ。
いずれも綺麗な綺麗な桜の花が咲いていました。
そののちに新政府軍が鶴ヶ城攻撃のために砲台を据えた小田山へ。山の上にありましたが、タクシーの運転手さんが相当無理をしてくださり、山頂まで登ってくださいました。
山頂に登って眼下を眺めると、すぐその先に鶴ヶ城が・・・。あまりの近さに愕然としました。

新政府軍の最新鋭のアームストロング砲が一日2000発以上打ち込まれたと聞きます。直線距離でわずか1.2キロ、射程距離は1.5キロとも言われていましたので、十分射程距離。想像を絶する恐怖に会津のみなさまは怯えたことでしょう。それでも弱音を吐くことなく、会津の名誉のために戦ったみなさまはすごいと正直感じました。
そののち、先述した西ク家のみなさまが埋葬されていると言われる善龍寺へ。ここでも会津のみなさまのならぬことはならぬ、その心意気というか、そんな想いの感じられる桜の花が咲いていました。
それから会津は日本酒の美味しいところですので、川村 妙慶先生他に清酒を送り、さぁ、いざ鶴ヶ城へ。

車を降りると唖然、としました。文字通り桜の花は満開、これまでの私の人生で見たことのない圧倒的な迫力、最高の桜の花が咲いていました。透き通るような純粋さ、真っ直ぐさ、心意気、いろんなことを感じながら1時間くらいゆっくりと掛けて、会津戦争のすさまじい籠城戦を戦い抜いたみなさまへ想いをはせながらお花見、桜見物、としゃれ込みました。
鹿児島では絶対に過ごすことのないゆったりとした時間です。時が止まっていたかのようでした。
それから竹製品の民芸品をお土産に買い求め、一旦タクシーでホテルに戻り休憩をし、食事をとってから夜の鶴ヶ城へ。道中はワクワクドキドキ。まるで遠足に行く子供のような気分であったのを憶えています。
さぁ、鶴ヶ城へ到着。ライトアップされた1000本の桜は圧巻。東日本でも最大級の迫力とのこと。昼間とはまた違った趣で私は桜の花に目を奪われました。また、1時間くらい掛けて敷地内を散歩しました。

道中運転手さんが「お堀の水面に映える桜の花が綺麗ですよ」教えて下さいましたので、この感動を皆さんにも味わっていただきたく、数限りなくカメラのシャッターを切りました。この日の天候は、同じ月日、去年は〃ゆき〃だったそうですが、寒すぎず、暑すぎず、ちょうどいい加減でした。 良かった良かった。「石部桜」「鶴ヶ城」の桜、私の心をがっちりと捉えたようです。

3日目は身支度を調え、荷物を送り食事をし、出発してまず中野竹子の墓がある法界寺へ。お墓参りをし、今度は長命寺へ。会津戦争でも最大級の激戦地だったとのこと。ここでも桜の花は満開です。
トイレに行きたくなり、女性(坊守さん?)にお願いをすると、「本堂の横のを使いなさい!」と快く使わせて下さいました。
ちょっと本堂にお参り。なんと同じ浄土真宗(ただし大谷派)お配りになっているプリントには、娑婆は堪忍土、無私・無我と記されており、また自力とは自慢と言い訳、反省と慚愧が必要と書いてありました。
そののち、阿弥陀寺へ。ここには新撰組隊士斉藤 一の墓があります。冒頭にお話しした女性がこの方の奥さんです。
お参りしていると、ある女性が話しかけてきて下さいました。よくお話を伺うと、タクシーの運転手さんが坊守さんに声を掛けて下さり、私に声を掛けて下さったとのこと。
境内地には鶴ヶ城から移築された「御三階」という建物があり、本来観光客は見学はできないとのことでしたが、なんと特別に拝観をお許し下さいました。
一階部分を掃除してみると松平容保公の肖像画が出てきたとのこと。さらにその他にも2〜3幅貴重な絵が出てきたと笑いながらお話し下さいました。
最後はやっぱり「石部桜」へ。一昨日は小雨交じりでしたが、この日はお天気も良くゆっくりと花を眺め、後ろ髪を引かれる思いで会津若松を離れました。

この旅を通して感じたこと。
鹿児島の地では絶対に感ずることのできないスローな、穏やかな時間を過ごすことができました。
桜の花はこんなにも美しかったのかとか、風はこんなにも心地よかったのかとか、満天の星空を眺めながら星はこんなにもきらびやかだったのかとか、人間性を取り戻せたというか、気持ちのゆとりができて、娑婆から少しズームアウトして、より的確な判断ができるようになると思いました。
会津のみなさま、職員のみなさま、留守を護ってくれた坊守さん、有り難うございました。
お陰でまた、お寺を護りみ教えをみなさまに伝えていくべく精進に務めて参ります。

【文責 住職 西 哲也】
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