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住職のコラム(122) 

如来大悲の恩徳は・・・恩徳讃・『正像和讃』より

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浄土真宗のお寺のご法要では、8割方法要終了時、この「恩徳讃」をご唱和なさると思います。
如来大悲の恩徳とは?師主知識の恩徳とは・・・
有縁のみなさまにお伝えしている本人が、
「自分は果たしてきちんと感じているんだろうか?」
と感じるようになりました。

お釈迦樣の弟子に周利槃特という方がおられます。
阿弥陀経に記されている16羅漢のお一人です。
阿羅漢とは修行を完成し、煩悩を滅し尽くした聖者のことです。
涅槃(さとりの境地のこと・全ての煩悩が吹き消された境地のこと)で、仏教の最終的目標は涅槃に至ることとされます。
周利槃特は兄のススメで出家されましたが、お釈迦樣のお弟子の中で、自分の名前さえしばし忘れるほど記憶力が悪かったそうです。
困った周利槃特はお釈迦樣にこう尋ねました。
「世尊(おしゃかさまのこと)よ、わたしはどうしてこんなにおろかなのでしょうか?自分ながらあきれるくらいです。わたしはとても仏弟子たることはできません。」
すると、お釈迦樣は周利槃特の肩にやさしく手をかけ、諭すようなまなざしでこう言いました。
「何を言うか。おまえは愚者ではない。愚者でありながら自分が愚者たることを知らぬのが、本当の愚者である。おまえは己を知っている。だから愚者ではない。」
と同時に一本の箒を与え、改めて次の一句を与えました。
「塵を払い垢を除かん」
周利槃特は多くのお坊さんの履き物の塵を払い、箒で各所を掃除しつつ、一心にこの句を意味を考え、称えました。
落とすべき汚れとは、貪欲(とんよく)・瞋恚(しんに)・愚痴(ぐち)の三毒の煩悩であると気づき阿羅漢になられたそうです。
お釈迦樣は「さとりを開くことはものをたくさん覚えることではない。
喩えわずかなことでも、徹底すればよいのである。
見よ。周利槃特は箒で掃除をすることに徹底して、ついにさとりを得たのである」 

仏教は四法印・諸行無常・諸法無我・一切皆苦・涅槃寂静と説きます。(仏教の根本真理を四つにまとめたもの)
(1)諸行無常・・・因縁によってつくられたものは常に変化してとどまることがない
(2)諸法無我・・・全てのものは永遠不変の実体・我は存在しない。
(3)一切皆苦・・・あらゆる存在はすべて苦しみであるということ
(4)涅(ね)槃(はん)寂(じやく)静(じよう)・・・煩悩の火が吹き消された状態・究極の安穏(心穏やかな状態)

煩悩全てを滅することはできない(歎異抄・第15条)が、少なくすることはできると思います。(小欲知足)するとより煩悩の火が弱くなり、心穏やかな生活を過ごすことができるのではないでしょうか。
全ての苦しみの根本は、思うがままにならないことを、思うがままにしようとする煩悩であると思います。
北海道の斜里町というところの真宗大谷派の西念寺というお寺さまがあります。
そこの坊守さんに鈴木 章子(あやこ)さんという方がおられました。
このかたは、46歳で4人の子供さんを残され、癌で亡くなられま した。
闘病生活の間、想いを巡らされたことを、真宗の教えを通して書き留めておられたものに「癌告知のあとで」という本?詩集があります。そこにこうありました。

   幸せ
 しあわせって
 みんなで ちょっぴり
 あじあうのが よいですね

 一個の柿を
 ほんの少しずつ 食べたとき
 病室に明るいさだめきがあふれました

 わたしって欲張りだったのですね。
  【癌告知のあとで・42頁】

そのことを再認識する意味で、より心穏やかな時間を過ごすことができればと、掃除の時間を大切にしています。
先程も記しましたが、お釈迦樣はおっしゃいました。
「人生は苦なり。」思い通りにはならないということを。
思い通りにならないことを思い通りにしようとすることを「煩悩」というのだと思います。
わたしも煩悩具足の凡夫ですから、思い通りにことが行かず、イライラすることもよく(*゜∀゜*)あります。
とくに接寺のように、組織が大きくなってきますと、多種多様な考え方をお持ちの方もおいでです。

そんなときは、もちろんみなさんも毎日欠かさず掃除をされておられることと思いますが、より朝早く起きて、より時間をかけて特にお内陣をて丁寧に掃除します。
「あーあ、煩悩だったなぁ」と気づかされることがたくさんあり、「いかんいかん」と、不思議と気持ちが落ち着きます。
これまでのわたしは、粋がっていて、そこまでの気持ちの余裕がありませんでした。
「信は荘厳より生ず」という言葉があります。
余談ですが、お内陣の状態は、わたしの心の状態だと思っていただいて結構です。

*最後に歎異鈔・第9条にはこう記されています。 【注釈版聖典836頁・現代語訳15頁】
〃よくよく考えてみますと、おどりあがるほど大喜びするはずのことが喜べないから、ますます往生は間違いないと思うのです。喜ぶはずの心が抑えられて喜べないのは、煩悩のしわざなのです。そうした私どもであることを、阿弥陀如来ははじめから知っておられて、あらゆる煩悩を身にそなえた凡夫(煩悩に束縛されて、迷いの世界を輪廻するもの)であると仰せになっているのですから、本願はこのようなわたしどものために、大いなる慈悲の心でおこされたのだなぁと気づかされ、 ますます頼もしく思われるのです〃。
ありがたいことです。もったいないことです。

*如来大悲のご本願・ご恩徳・師主知識の恩徳を自分自身が謝すべく口だけではなく見過ごされがちな荘厳・所作など、態度で実践をし、そのみ教えの象徴であるこの本堂をみ教えとともにしっかりとより整えられた状態で護り受け継ぐこともわたしに与えられた責任でもあると思いますし、また、役割だと思っています。
そのことを通じて、有縁のみなさまにご本願の有り難さを感じていただければと思うことです。
浅学非才のわたしには、これぐらいしかできませんが・・

みなさまにもぜひ*掃除*お勧めします。
ちなみに恥ずかしながら、庫裏のほうはあまり掃除ができていません。誠に申し訳ありません。(二男坊にはよく怒られます。)気づくことがたくさんありますよ。

【令和3年1月19日作成・文責・住職釋哲了】
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