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01/08/20 大浦町の橋(その2)
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前回、大浦町の橋を紹介しました。今回も大浦町の橋を紹介したいと思います。 大浦町は、人口3000人ほどの小さな町ですが、橋となるとかなりの数があります。これは私の予想を遥かに上回る数で、前回と今回とで2回に分けて紹介することにいたしました。 前回でも書きましたが、「橋」という言葉は、島と島を繋ぐ瀬戸大橋のような大きな物から、人が一人やっと通れる物まで含んでいます。ということで、今回も私の独断と偏見で橋の紹介をしたいと思います。 前回は、大浦川の上流から中流に架けられている橋を主に紹介しました。今回は大浦川の中流から下流にかけて架けられている橋やその他の川に架けられている橋を紹介します。地区で言いますと、福元(ふくもと)・木連口(きれんくち)・有木(ありのき)・上之門(うえのかど)です。 注:今回も橋の数が多いので表示に多少時間がかかると思います。ご了承ください。 |
福元地区(福元川から大浦川へ) |
大浦川に流れる福元川の上流にある「平木場(ひらこば)橋」です。 福元から長屋山(ちょうやざん)に登る道に繋がる農道にあります。 この橋は平成に入ってから出来たようで、記憶にある方は少ないと思います。 おそらくこの橋が架けられる以前も橋があったのでしょうが、私は全く知りませんでした。 ここは、長屋山の麓にあたる場所で、獣(おそらく猪)が出るのか辺りの田んぼには、電熱線が張り巡らされていました。大浦町でこのような施しをしている田んぼは珍しく、よほど被害があるのだと思います。 余談ですが、この平木場橋のさらに上流には、このようなダム(正確には砂防堤)があります。 水深はよく分かりませんが、かなりの深さだと思います。 このような場所は小さい頃絶好の泳ぎ場だったのでしょうが、ここには河童が住んでいるので絶対近寄るなと親に脅されていたので泳いでいません。 河童はさておき、どんよりとした雰囲気があります。 今年の夏は暑く、雨が少ないのでこのダムの水位も下がっていました。 平木場橋を下流に下った所にある名もなき橋。 本当に何もないのでコメントがありません。 上記の橋を更に下流に下ったところにある「福元(ふくもと)橋」。 福元地区のほぼ真ん中辺りにあります。 この橋は私(へたれ)が小さい頃に架け替えられました。そして昔の橋の記憶が全くありません。 福元橋を100mほど下った所にある「平原(ひらばる)橋)」。 福元で昔からある橋は、おそらくこの橋だけだと思います。 私は小さい頃、福元川で遊んだことが殆どないので、詳しく書けないのですが、近くに友達の家があったのでよくこの橋を渡っていました。 ちょっと気になったのが、ここは福元地区なのですが、何故か隣の地区の名前が付いています。 福元地区と平原地区の境は一体どこなのでしょう?上坪商店辺りなのでしょうか? 福元川下流にある「福元(ふくもと)橋」。 県道271号線にあります。 驚いたことに前回の大木場橋と同様、ここ福元地区でも同じ名前の橋が二つあるようです。 どうやら、昔からある橋は名前がない物が多く、新しい橋は大きさに関わらず必ず名前が付いています。そして、昔からある橋と新しく出来た橋は別物という考え方なのか同じ名前が付くようです。 福元川に架かる橋は、この橋で終わります。 この福元橋から100mも行かないところで福元川は大浦川と合流します。 |
木連口地区(大浦川) |
県道271号線にある「礒間(いそま)橋」。 ここに来ると大浦川も大分大きくなり、写真もかなり離れた所から撮らなければ収まりきれなくなりました。 この橋は、大浦町でもかなり重要な橋で、誰もが知っている橋だと思います。但し、正式名称はどうでしょうか?礒間橋となっています。私も初めて知りました。その昔、礒間嶽に向かう道がこれしかなかったからでしょうか?こんな下手に来て磯間という名の付く橋があるのが驚きです。 この辺りはよく釣りをしたり、泳いだり、いかだ下りをしたりしました。但し、上記にも書いたとおり交通の要的なところなので、泳ぐには最新の注意が必要でした。大人に見つかると怒られるからです。 この橋はもうじき道路整備のために取り壊されます。昔からある橋なので、交通の要所の割には道幅が狭く、また、大雨の時など橋脚が太い為大木などを流しきれず、堤防決壊を起こすことがある為です。鹿児島市にあった石橋と同様、時代に合わなくなったということでしょうか。 橋の後ろにある崖の色が鹿児島がシラス台地で出来ているのをよく物語っています。 礒間橋から少し下った所にある名もなき橋。 写真を見ても良く分からないと思いますが、ちょっと前までここに橋が架かっていました。 この橋は、人がようやく渡れるほどの物で、セメントの橋脚の上に板を敷いてあるだけの物でした。今は写真のように橋脚しか残っていません。 大雨の時などは、板を取り除いて橋を水没させ、水位が下がるとまた板を敷いて通れるようにしていました。 ここは大浦川の中流なのですが、満潮の時などこの辺りまで海水が来るらしく、ある時など50cm以上の鯉が死んでました。 大浦(おおうら)橋 ようやく川の名が付く橋が登場しました。県道272号線にある橋です。大浦中学校前と書いた方が大浦町出身者の方にはよく分かるかもしれません。 この橋も最近架け直され、以前の橋と比べると豪華になりました。川幅も少しですが広げられたので、長さもあり、かなり離れた場所から撮っています。 昔の面影が殆どないので書くことがありませんが、写真を撮りに行ったときは丁度干潮時で川の中に入ることができ、全体が入る写真を撮ることができました。このように、ここら辺りまで来ると海水が頻繁に浸入してくるので、川は潮の香りがします。 そう言えば、昔はここら辺は海だったんだっけ。 |
有木・上之門(有木川・大王川から大浦川へ) |
上之門にある名もなき橋。 県道271号線沿いにある橋です。 近くに最近できた有木団地があります。 有木(ありのき)橋。 この橋は最近出来た物で私は前の橋をよく覚えていません。 近年人口減少が著しい大浦町の中にあって、有木は逆に人口が増加している地区です。 それを証明するように新しい家々が軒を連ねています。 有木(ありのき)橋。 またまた同じ名前の橋です。 県道271号線にあります。小学校の近くと書いた方が分かりやすいかもしれません。 写真左の橋の脇に建っている家は、その昔お店だったようですが、私の記憶には覚えがありません。 もし営業していたなら格好の買い食いするお店だったことでしょう。 上之門にある名もなき橋。 近年、この川の蛍を見ようと「蛍の散歩道」という歩道に架けられた橋です。 その名にある通り、ここは蛍が見られる程に川も澄んでおり、水草が生い茂っていました。 昔はこんな川は大浦町のあちこちに存在していたのでしょうが、今の大浦町では貴重な川となっています。田舎の町だと言うのに清流は珍しいのです。 上之門にある名もなき橋。 「蛍の散歩道」から少し下った所にあります。車が一台通れるほどの小さな橋です。 なかなか情緒がある橋なのですが、おそらく老朽化の為、そろそろ架け直されるのではないでしょうか。 上之門の名もなき橋。 上之門からスーパーオーキに向かう途中にある橋です。 この橋は、結構交通の要所にあるのですが、橋の幅がせまく、車が2台ぎりぎり通れるほどしかありません。 また、ここから有木川から大王(だいおう)川に川の名称が変わるようです。 名もなき橋。 農協茶工場の前にある橋です。 大王(だいおう)橋。 交通の要にある橋で、信号がある交差点の一角にあります。 私が小さい頃は、大浦町で信号と言えばここの信号だけでした(笑)。 ここから干拓に向かって真っ直ぐな道路があります。その先にもうひとつ信号があり、今大浦町はふたつの信号があります。 この橋を通過すると大王川は大浦川と合流します。 |
以上が大浦川の中流域やその他の川に架けられている橋です。この後の下流域の橋も紹介したいのですが、あまりにも一ページの容量としては大きくなってしまいますので(現段階で460KB)、次回紹介したいと思います。 今回の橋は、同名・名もなき橋が多く、橋の名称とはこんなにいい加減なものなのかと思いました。地元では、その地域の名称で橋を言うのでそんなに困らないのでしょうが、その他の方々は大変なことだと思います。まあ、あまり橋について話すことなどないのでしょうが、なんとかならないものかと思ってしまいます。 次回は、榊(さかき)・越路(こえじ)・小浜(おばま)にある橋を紹介したいと思います。 |
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