1998.10.26
睡郷 経由
夢は無限の寂しさを含んでいるような気がします。 どこまで行っても外界からは遠く隔てられているのですから。 そういう時、「睡郷(眠っている間に魂が行くところ、らしいです)」という所があれば、 心強いだろうかと思います。
ここではそんな私の眠り方をいくつかご紹介致します。 他の人にもこれらが当てはまるかは怪しいところですが。

眠りを感じる羊を数える目を開けて夢を見る起きてもおきても金縛り夢で味わう効率の悪い読書感覚(もの言う体)ペンギン・人間改造(外)

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眠りを感じる1997.前

 私は眠りに就く時、しばしば「今眠りかけている」とわかります。  本格的な眠りにつく前のところで、”夢の入り口”のようなものを感じるのです。 そこでは、短すぎて夢とも呼べない夢(イメージ)が、滝のように流れ出てきたり、 或いは曲(無意識のうちに作曲しているらしい)が流れていたり...
 この時点では、まだ意識がある為、自分の意志で起きられます (覚えておきたいイメージがあった場合など、書きとめておくことが可能)。
 覚醒状態ではなかなか考えられないようなイメージだと気付いた時、 そろそろ眠ろうとしていることを知るのです。

 ところで、上で書いたことがいつも起こるとは限りません。 強制的ではありますが、 眠気を限界まで我慢した後床に就くとかなり高い確率でイメージを感じることが出来ます。
 そしてもっと我慢してから眠ろうとすると、横になるや否や、適当な言葉が見つかりませんが、 体中が圧迫されて圧力のトンネルを抜けていくような感じになります。 圧迫といっても、苦しいものではなく力に身を任せていると、非常に心地よいものです。 ただ、ここでは上と違い、起きようと思っても、金縛り状態で容易に起きられません。

  
羊を数える1997春

 私は、眠れない時、よく羊を数えます。 ばかばかしいと思われるかもしれませんが、私自身その方法を知る以前は、 羊など数えていたら逆に目が覚めると思っていました(実際そうでした)。 しかし、中学生時代に「正しい数え方」を知ってからというもの、 私にとっては、眠れぬ時には欠かせない手段となったのです。 教えてい下さった先生に感謝致します。

 その数え方というのは、同じ数えるにしてもこれ以上はない遅さでカウントしていくことです。 とにかく遅くっ!!これがコツです。 頭の中で静かにぼーっと考えていると、どこまで数えたのかわからなくなって眠ってしまいます。
 ここで重要なのは、羊をイメージするのではないということ。言葉のみの極めて単純な作業です。  極端な例、「あいうえおが1、あいうえおが2...」でも構わないと思います。 要は単純すぎるほど単純で、且つ何かに集中しなければ(順に数えなければ)ならないということです。

 私の場合、大体10匹ほどで眠ってしまいます。早いときは3、4匹、遅くても20匹くらいです。 初めて試してみたときは、27,8匹は数えた記憶がありますが。



目を開けて夢をみる1997

 眠ってはならない時に眠たくなったことはありませんか? そのような時は、目を開けたまま眠りましょう。
 まず必要なのは、絶対に寝てはならないという正義感(結局は寝てしまったとしても)です。
***** 注:かくいう私も実はこの方法を思うようには扱えません・・・  なにせ、正義感というものをどこかにおいてきてしまったようで。*****

 授業時間など目は必死で開けているのですが、あまりの眠たさに、見ているのもがいつのまにか、その場で夢になっていたりします。即席の夢、とでも言いましょうか・・・  いくつか例をあげてみます。
  1. その日私は、窓際で眠気に耐えていました。気がつくと窓の外の景色が、動いているのです。景色ごとごっそり。自分はバスに乗っていると思っていました。
  2. 授業中、クラスの生徒が皆、鉢植えになっていました。 背中が、鉢で頭が茎や葉に・・・ つまり、巨大な鉢植えが椅子に乗っかった状態です。
  3. そして、これは私にとって、最も一般的な”即席の夢”です。 視界の中に無数の玉が浮かびます。分子の模型のような赤や青の玉が。

 しかしそういう状態の私を目撃した人が、怖いと言っていましたので、やはりこれは、場所を選んで実行する方が良さそうです(意味がない)。 迂闊にこの方法を使うと、かえって目立ってしまうおそれがあります。



起きてもおきても金縛り 1997

 金縛りについてです。
 "カナシバリ"といっても、霊体験等は含んでおりません。 疲労時や、眠ってはならない時によく起こりますので、恐らく意識より体が先に睡眠 状態に入ってしまうのではないでしょうか(専門ではないのでわかりません)。

 これは一見、上で書いた、目を開けて眠るのとよく似ています。 しかし上と違い意識ははっきりとしています。 また、金縛りにかかる瞬間は、「眠りを感じる」のと同様に大体わかります。
 眠ってはならない時などは必死で起きようとするのですが、これは少々厄介です。 早期発見(?)で軽い金縛りなら、自力で体を動かして起きられることもあります。 しかし気付くのが遅くなると眠りはかなり深いところまで進行してしまい、 起きるのは困難を極めるのです。 何と言いましても体が動きませんので、そのような時、私は声を使います。 自分の声で起きてしまおうという訳です。周りに人がいれば幾分か簡単で、 その人に声を掛けて起こしてもらえば良いのです。「声を出して」とはいっても、 けっこうコツがありますのでなかなか良い具合にいかないのが問題ですが。 (言葉が聞き取れないということでしたので、眠りながら練習した時期もありました)。

 私の経験からいくとうまく解けたとしても、そこで安心して横たわったりしないことです。 油断した隙に、再度金縛りにかかってしまう為です。せっかく苦労して解くことが出来 たのですから、とりあえずきちんと起きましょう。
 私自身、同じことを4.5回繰り返した後、結局疲れて眠りに落ちてしまうということが 何度かありました。

 一度金縛りにかかっている私を見た人がいます(あれは”金縛り”ではないかも)。 私が眠っているのを彼女は起こしてくれました。 目は開いたものの体のほうはまだ眠って いるようで、全く動けません。「もっと起こしてくれ!」などと思っていました。瞬き一つ しない私を不思議に思ったのか(当たり前...)彼女は”完全に”起こしてくれました。 後から聞くと、目だけ見開いて微動だにしない私は恐ろしかったそうです。


夢で味わう1998.5
時々夢で食事をする。味覚も現実と同じようにあるのだが、初めてそれに気付いたのは、サブレを食べる夢を見たとき。 他に、ハッカの夢も印象的だった。 現実では長い間忘れていたそれらの味が、起きた後もはっきりと残っていた。
先日の夢は特に本格的で、食前から食後まで完璧であった。 内容もブロッコリーの歯ごたえとか、熟しすぎたトマトの舌触とか、とにかくリアル。 他に魚の正しい食べ方まで教わった。(これは実際には使えない)そして食後に珈琲を飲んで起きた。

効率の悪い読書1998.春
夢の中で文字を読むことがあります(本、手紙、テスト用紙、etc.)。 しかし考えてみると、これは非常にナンセンス。 仮にもこれは夢なのだから、例えば本なら持っただけで内容がわかってしまってしまう のが普通だと思うのに、それをわざわざページを繰って文字を目で追っているとは。
それに、それが夢であるという事は、目で追いながら話も即興で作っているわけで、 こういう芸当が現実で出来ないのが残念です。

夢の感覚1998.夏
 a.体の苦痛に気付く
夢は自分について様々なことを教えてくれる。殊に体の苦痛に関しては敏感らしい。 普段気付かない程度の感覚まで何十倍にも増幅させ、そしてストレートに知らせてくれるのだ。 (無論、それを知るのに夢辞典を購入する必要もない)
例えば無理な姿勢や、衣服等による体の圧迫に気付かないまま眠ってしまうと、 大概私はうなされて起きる。それで初めて自分の状態が不自然であったことに 気付くことも多い。 経験によると、無理な姿勢に対しては電流が流れるような痛み、圧迫には 体を何かに捻り曲げられる(潰される)ような圧力を感じることが多い。

今日も不自然な体勢を一つ知った。手を上げた格好で眠ると散々な目に遭うようだ。 以前一、二度、偶然その格好で眠った時うなされたのだが、今日も懲りずに ──これが原因だったのか試してみようという気持がわき、 故意に両手を上げて眠ってしまった。 するとこれが予想以上に悪い。
悪夢の中で腰の辺りに何やら違和感がある。そのうち眠りから覚めかけると それは徐々にひどくなっていき、腰を電気が走るような感覚に襲われ、 眠りながら後悔した。 腰(背側の腰の根)に負担がかかる姿勢ということなのかもしれない。
(うなされながら、自分でお腹を押していた、とか、首に腕を回していた という苦笑するようなこともあったな...。)

先日は、背中の当たりにただならぬ苦痛を感じた。挙げ句、意識が戻ってくるとともに 、「これか」とわかったその原因というのが、ただ布が皺になって少し重なっている 部分であるらしかった。尤も、布の皺にまで気を使って いたら眠れたものではない。普段はここまでではないのだが、疲れていたりすると敏感になるので、 そういった時は、体が普段以上に安眠を要求しているのかもしれない(そんなことないか)

その他、精神的な苦痛に気付くこともある。 結果、自分の抱えている問題を再認識することになるのだが、 自分のすべきこと、必要としているものは、当の本人が一番よく知っているのだろう。



....そういえばお伽話かなにかで「1粒の豆の上に布団を堆く積み上げて眠ったけれど、 その豆が痛くて一晩中眠れなかった」という話があったような気がするが、まさにそれなのである。 確か主人公はお姫様だったので、悪い気はしない。 





 b.身に覚えのない感覚 1998.夏頃
夢の中の感覚というのは一体これが夢なのかと思うほどの現実味を持っていることが少なくない。 先日はそんな夢を続けざまに見た。その中の2つ。

夜中、ひやりとした青白い手が私に触れている夢を見た。 柔らかく、それでいて氷のように冷たいその人の感触は実に心地よく、まだ鮮明に残っている。 しかしあの冷たさがどこから来たのか不思議である。(部屋は暖かかったので)

明け方には、痛みを感じた。 私の足や腕の数カ所は、(夢で)1度切断した後がつなぎ合わせてあり、 私は再度手術する為医者を待っている。
座ったりして傷口に振動が伝わると、そこに激痛が走るのである。 遂に右足に感じるあまりの痛さに目が覚めた。  起きたときの姿勢を崩さずに、どこかおかしな体勢(詳しくは「苦痛に気付く」で)ではないか、 注意してみたが特に何も気付かなかった。

こういう場合、過去の記憶の中から甦るのだろうから不思議はないと思うが(明らかに初めての感覚もあったけど)、しかし 人が現実で生活するというのは、多くの場合、その結果何かを感じる事でもあり、 この点では睡眠時も変わらない。とすると、私はどこに生きているのか、少し混乱してしまう。


ある日の夢1998.10


「ペンギン」「人体改造」


続きは夢の後で。 それでは、お休みなさい...


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