[網膜再生治療について]
[まずは,細胞の分裂と分化について理解しましょう]
[再生治療に使用できる細胞にはどのようなものがありますか?]
[「体性幹細胞」とはどんなものですか?]
[「ES細胞」とはどんなものですか?]
[「iPS細胞」とはどんなものですか?]
[「拒絶反応」とは何ですか?]
[拒絶反応と「血液網膜関門」について]
[視細胞の再生は,ES細胞,それともiPS細胞]
[シナプスができるかどうかがカギ]
[シナプスの構築を促進させる方法はありませんか?]
[網膜再生治療の総まとめ]


[網膜再生治療について]

 これまでに,網膜色素変性症に関する極めて基礎的なことを説明してきました。

 今まで疑問に思っていたことが少しではありますが理解できましたという反響もいただいております。

 さて,「RP第73号」(2008年2月号)の「アアルピー医療情報」に「iPS細胞とその網膜疾患への応用について」という題で理化学研究所発生再生科学総合研究センター網膜再生医療研究チームのチームリーダーであられる高橋政代先生が説明を書いてくださっておられます。

 とてもわかりやすく多くの疑問が解決できました。

 しかし,中には,「少し内容が難解なので,もう少し基礎のところから教えてくれませんか?」といわれる方もありました。

 そこで,この後に少しずつ項目を分けて書いて行きたいと思います。

 ご参考になれば幸いです。



[まずは,細胞の分裂と分化について理解しましょう]

 細胞は分裂することによってその数が増えるということはすでにご存じのことと思います。

 生物の中には,アメーバのように単細胞生物とヒトのように多細胞生物とがいます。

 ヒトの場合,およそ60兆個の細胞からできているといわれますが,これらの中では,常に細胞の分裂が行われ,古い細胞と新しい細胞とが入れ変わっています。(細胞分裂)

 また,60兆個もありますので,細胞の働きは極めて多くの分野に機能の分担がなされています。(機能の分化)

 会社などに例えてみますと,従業員が数人しかいない会社では,一人の従業員が営業や会計,場合によっては製造や集金にも従事しなければならないかも知れません。

 それに対して,従業員の多い会社では,役割りははっきりと分担されています。

 細胞でもヒトのように多細胞生物の場合,網膜の細胞は網膜の細胞,中でも,光を感じて電気信号に変換する細胞はその役割り,電気信号を視覚中枢に伝達する細胞はその役割りというように機能の分担が明確化しています。

 ES細胞やiPS細胞が分裂しその数が増えて行く訳ですが,その時にどのような役目を持った細胞になって行くかが問題な訳です。この過程でいいますと,前者が分裂,後者が分化ということになります。



[再生治療に使用できる細胞にはどのようなものがありますか?]

 再生治療に使用できる細胞としては,そのヒトの体内に自然に存在している体性幹細胞,受精卵から作る胚性幹細胞,そしてそのヒトの体細胞に遺伝子を組み込んで作る人工多能性幹細胞があります。

 以下,それぞれについて歴史的なことや長所,短所などを説明してみたいと思います。



[「体性幹細胞」とはどんなものですか?]

 庭先や山にある樹木のことを考えてみましょう。地面から1本の形で出ているのが幹です。英語ではstem(ステム)といいます。ES細胞のSやIPS細胞のSも,このstemのSです。

 樹木の場合,1本の幹から多くの枝に分かれ,その枝から葉が出てきます。この幹細胞も神経細胞や骨細胞など多くの種類の細胞に分化する能力を持っているのです。

 私たちの体の中には多くの場所にこの幹細胞があることが知られていますが,採取が容易な点から骨の中にある骨髄が多く用いられます。

 ただ,成人の上肢(手)や下肢(脚)の骨髄はすでに脂肪化しているため,成人者から骨髄を取り出すには背骨や骨盤の骨を用います。この細胞を間葉系幹細胞と呼びます。

 この間葉系幹細胞を臨床に応用することはすでに研究指針もあり多くの施設で実践が行われています。

 最近のものとして,東京大学の医科学研究所では,重い歯周病の患者さんの骨を再生し,インプラント治療ができるように顎の骨の再生をしています。

 では,視細胞の再生はできないのかといいますと,ES細胞やiPS細胞からのように高効率での細胞の作成は難しいようです。

 もし,これが実現できれば,倫理面,安全面など最良の手段とはなる訳ですが。



[「ES細胞」とはどんなものですか?]

 卵子の中に精子が入ることを受精といいます。また,受精した卵子を受精卵と呼びます。

 この受精卵は,しばらくしますと,卵割といって細胞分裂を始めます。細胞の分裂がある程度進んだ状態で胚盤胞と呼ばれる時期があります。


写真があります。

生物で習った「受精卵の卵割」


 胚盤胞は,子宮の内部に貼り着き,臍帯を通じて胎時との間で血液のやり取りを行う胎盤と,その他の細胞に分化・分裂できる内部細胞塊とからできています。

 ES細胞は,この胚盤胞にフィーダー細胞を下敷きにして培養した細胞で,生体外にて,理論上すべての組織に分化する分化多能性を保ちつつ,ほぼ無限に増殖させることができるため,再生医療への応用が注目されています。

 これを胚性幹細胞(Embrynic stem cells)略してES細胞と呼んでいます。

 ES細胞は倫理面で問題があるということをお聞きになられたことがあると思いますが,それは,そのまま子宮内で分化・分裂を続ければ一つの個体となり得るからです。

 ただ,神経系が発達した以降の胚を生命の萌芽と見なすべきではないかという考え方もあり,患者の立場からいえば,治療に役立つのであれば,何とか配慮してほしいといいたいところです。

 また,一方,卵割を続ける受精卵そのものを傷つけることなく,受精卵のごく一部を取り出し,Es細胞を作製することに成功したという報告もあります。

 次に,ES細胞のもう一つの問題点としては,一卵性双生児間でない限り,移植後に拒絶反応が発声する可能性が高いということがあります。

 この問題点への対策として,受精卵の核だけを取り出し,患者さんの体細胞の核を入れるということはできないかという試みも行われていますが,成功率が低く,多くの卵を準備するなどの問題点があります。

 特に,我が国においては,倫理的な面もあり,ES細胞の臨床研究のための指針はまだ作成されていません。

 しかし,すでにヒトのES細胞から視細胞を高効率で作製することについては理化学研究所の高橋先生のグループが成功しておられます。

 上記のような倫理面と拒絶反応に関する問題を解決してくれるのがこの後に述べるiPS細胞です。

 ES細胞について更に詳しくお知りになりたい方は,以下のURLをご参照ください。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%83%9A%E6%80%A7%E5%B9%B9%E7%B4%B0%E8%83%9E



[「iPS細胞」とはどんなものですか?]

 少し以前からパソコンの操作を行ったことのある人は,パソコンにリセットボタンというのが付いていたことをご存じだと思います。

 また,各種のテレビゲーム機などにもリセットボタンというのがあります。

 これは何かといいますと,その機器を電源を入れる前の状態や工場出荷の状態に戻すものです。

 丁度,人間の体を作っている細胞にいくつかの遺伝子を導入し,これから分化することのできる受精卵のような細胞に戻すという技術が,ここで紹介するiPS細胞です。

 2006年8月10日,京都大学再生医科学研究所の山中伸弥らのグループは,マウスの胚性線維芽細胞に四つの遺伝子 (Oct3/4,Sox2,c-Myc,Klf4) を導入することでES細胞のように分化多能性を持つ人工多能性幹細胞(iPS細胞; induced pluripotent stem cells)が樹立できることを科学雑誌セルで発表しました。

 更に,研究を進め,2007年11月20日,山中らのグループはヒトの大人の細胞に4種類の遺伝子(OCT3/4,SOX2,C-MYC,KLF4)を導入することで,ES細胞に似た人工多能性幹(iPS)細胞を作製する技術を開発,論文としてセル誌で発表し,世界的な注目を集めました。

 また,遺伝子を導入するための遺伝子ベクターとしてレトロウィルスを使用することや四つのウィルスのうちの一つが発がんにも関連しているのではないかという問題点が指摘されていましたが,その後の研究で,そのことも回避できることがわかりました。詳細につきましては,「新着情報」の「朝日新聞」の2008年2月15日の記事よりご覧ください。

 なお,この日の発表は米のグループとまったく別々に独立して同時に発表することになり,この分野の研究の競争の烈しさを改めて実感しました。

 この2グループはそれぞれ個別に研究していましたが,奇しくも同様の研究成果を同じ日に発表するに至りました。

 この2チームの研究成果は,大まかな細胞の作製方法こそ似ていますが,導入した遺伝子が一部異なっています。

 なお,iPS細胞に関する詳細な内容についてお知りになりたい方は以下のURLをご参照ください。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%BA%E5%B7%A5%E5%A4%9A%E8%83%BD%E6%80%A7%E5%B9%B9%E7%B4%B0%E8%83%9E



[「拒絶反応」とは何ですか?]

 私たちの体の仕組の一つとして,外からの侵入物から自分自身の体を守る生体防禦機能というのが備わっています。

 「免疫」という用語が使用されますが,この「免疫」を字面だけで理解しますと,「疫病からまぬがれる」ということですが,それだけの理解では,免疫のごく一部しか説明していません。

 免疫という用語の最も短かく,正確な説明は,「自己と非自己の認識」ということになります。すなわち,自分自身以外の体の構成成分(抗原またはアレルゲン)が侵入して来た時に,それを排除し,自分自身の体を正常に保ち続けようとする仕組です。

 実は,この免疫が拒絶反応に関係しており,臓器移植やES細胞を用いた再生治療では問題となるのです。

 この拒絶反応と深い関連を持っているのがヒト白血球型抗原(Human Leukocyte Antigen; HLA)で,最も重要な組織適合性抗原の一つです。

 白血球の血液型と言えるものであり,一般的に血液型というとA,B,AB,O型といった赤血球の型を指しますが,HLA型は白血球の型を示しています。ただし,白血球以外にもHLAは存在するため,現在ではヒト白血球型抗原の名称で呼ばれることはほとんどなく,HLAと略して呼ばれます。

 その適合確率は兄弟間で4分の1,非血縁者間だと数百人〜数万人に1人しか適合しないと言われています。そのため骨髄移植においては,骨髄バンクを設立し,HLAが適合するドナーを登録しているのです。



[拒絶反応と「血液網膜関門」について]

 3月16日(日)の夕方5時30分から放送されたTBSの「報道特集」で再生医療を取り挙げていました。

 体性幹細胞,ES細胞,そして最も新しいiPS細胞の三つについて説明がありました。

 その中で,ES細胞の短所として,倫理的な問題と拒絶反応のことを挙げていました。

 前者については別な場で議論されるとして,後者について考えてみますと,網膜の中の視細胞の再生ということに限れば,ES細胞を用いたとしても,以下のような理由により,それほど拒絶反応は強く出現しないのではないかということができます。

 すなわち,網膜を栄養している血管ですが,一つは視神経と一緒に眼球内に入り,最終的には毛細血管となって分布します。

 網膜の毛細血管は,後極では2層になっており,その浅層(内層)は神経節細胞層から内網状層にあり,深層(外層)は内顆粒層から外網状層にあります。

 一方,網膜が薄くなる中間周辺部から周辺部網膜にかけては毛細血管は一層のみです。

 このように神経網膜の外顆粒層(視細胞の内節)と外節層は神経網膜の血管によって栄養されておらず,脈絡膜の毛細血管板から網膜色素上皮を介して栄養と酸素の供給を受けています。これが網膜剥離(神経網膜と網膜色素上皮の間ではがれる)があると視細胞が死滅する理由です。

 網膜の血管は,その内皮細胞どうしが細胞結合装置である密着結合(tight junction)によって密に結ばれ,血液成分が血管外へ漏れない構造になっています。

 一方,網膜色素上皮細胞も同様に密着結合(tight junction)によって結合し,脈絡毛細血管板からの成分は漏れません。

 このような二つの「血液網膜関門」(Blood-Retinal Barrier:BRB)によって網膜の神経細胞は血液中の免疫担当細胞から隔離されています。従って,拒絶反応は起こりにくいのです。

 「知っていますか?/網膜色素変性症」の中の「網膜の構造/その基礎の基礎」を再度読み返していただければ,更に理解は深まるものと思います。



[視細胞の再生は,ES細胞,それともiPS細胞]

 再生治療に使用できる細胞として三つのものがあることを紹介しました。

 しかし,間葉系幹細胞から視細胞への分化は少し難しいのではということで,ここではEs細胞とiPS細胞について比較してみたいと思います。

 まず,ES細胞の長所としては

 (1)自然の流れに逆らわない細胞であること。

 (2)ある程度永い研究実績があること。

 (3)高効率で視細胞への分化ができるようになっていること。

 (4)当該疾患の遺伝子変異を有しないと思われること。

 次に,ES細胞の短所としては

 (1)倫理的な問題が内在すること。

 (2)兄弟間で4分の3,それ以外では極めて高い確率で拒絶反応の問題があること。ただ,視細胞の再生に限定すれば,「血液網膜関門」によって発現は少ないのではないか。

 次に,iPS細胞の長所としては

 (1)倫理的な問題がないこと。

 (2)拒絶反応の問題がないこと。

 また,iPS細胞の短所としては

 (1)自然の流れに逆らってある程度無理に作った細胞であること。

 (2)研究の歴史が浅いこと。

 (3)本人の細胞を使用するため,網膜色素変性症を発現した遺伝子変異を持っていること。

などを挙げることができます。

上記のようなこともあり,RP73号の高橋先生のお話では,「少なくとも,現段階においては,視細胞の再生に使用する細胞はES細胞から作製するのが良いのではないか。」と述べておられます。

 新着情報のところにも掲載しましたように,ES細胞による臨床研究が早く始まり,最も困っている患者本人のQOLが高まることを心より祈るばかりです。



[シナプスができるかどうかがカギ]

 少なくとも現段階においては,視細胞の再生に関しては,ES細胞を用いるのが良いのではないかということは前述もしたとおりです。

 そこで,ES細胞から高効率で視細胞を造ることには理研の高橋先生のチームが成功なさっておられます。

 では,ES細胞の臨床研究が可能になればすぐに臨床応用が始まるかといいますと,その前の段階があります。

 それは,RP第73号にも高橋先生が「視細胞の場合は,患者さんの網膜細胞とつなぐところ(シナプス形成)はまだうまくできません。」と書いておられます。

 [網膜の構造/その基礎の基礎]のところで網膜の構造については説明させていただきましたが,網膜色素変性症の患者さんの視機能を回復させるために再生する細胞は視細胞です。

 この視細胞は,光刺激を電気信号に変換させます。

 網膜から脳に電気信号を伝達する視神経の数は,片方の眼球から100万本です。これに比べて,網膜上にある視細胞や,その他の細胞の数はこの何倍もあります。

 これは,何を意味しているかといいますと,網膜内で多くの情報処理がなされ,その後に情報処理後の信号が視神経内を脳へ向かって伝達されているということです。前述もしましたが,網膜は,脳の一部です。

 従って,正しくシナプスが形成されなければ,視機能は回復しないことになります。

 以下に,「網膜の構造/その基礎の基礎」から引用し,網膜の神経細胞について復習してみたいと思います。

 大別しますと,網膜にある細胞は,視細胞(錐体細胞と杆体細胞),双極細胞,水平細胞,アマクリン細胞,神経節細胞の五つが存在します。

 光は視細胞で電気信号に変換され,その信号(情報)は化学シナプスを介して双極細胞と水平細胞に伝達されます。双極細胞はアマクリン細胞や神経節細胞とシナプス結合しており,神経節細胞の軸策が視神経として大脳の視覚中枢まで情報を伝達しています。

 上記のとおりで,視細胞は,双極細胞と水平細胞とにシナプスされなければならないのです。

 アメリカで,胎児の網膜を移植した結果,視力を回復した例がNHKで放映されていましたが,あれも移植後,6箇月後に視力が出てきました。

 これは,あの時期にシナプスが完成したことを意味していると思います。



[シナプスの構築を促進させる方法はありませんか?]

 ES細胞を用いて視細胞の再生ができたとしても,レシピエント側の細胞とシナプスを構築しなければ視機能の回復はないと書きました。

 そこで,シナプスの構築を促進する方法はないものかと調べておりましたら,昨年の「JRPSニュースレター第21号(2007年9月1日発行)」の中の第3回JRPS網脈絡膜変性フォーラム報告の高橋先生のご講演に出ておりました。

 以下に,高橋先生のご講演より少し引用させていただきます。

 「次に,移植細胞源が確保されたとして,それらを移植してシナプスを形成させる必要があります。

 これも様々な工夫が今後必要になりますが,コンドロイチナーゼABCやエストロゲンと共に細胞を移植する方法で,より良い移植細胞の宿主への侵入やシナプス形成を得ることができます。

 今後は,正しいシナプスを作らせる方法を考える必要があります。機能回復はそれからのことです。」と述べておられます。

 では,シナプスができなければ,視細胞の再生はまったく無意味なのかということになりますが,このことについても,上記のご講演で「まだ残存視力のある人の場合,この再生させた視細胞の生着ができれば,そこから放出される錐体細胞の保護因子などが進行を予防するという意義はあります。」と述べておられます。

 そこで,ES細胞による視細胞再生の安全性を確認するという上では,上記のようなメリットはある訳ですので,視細胞の再生を試み,シナプスまで構築できれば本来の目的も得られるということになります。

 もちろん,ヒトで研究される前には,サルなどでの研究が先行する訳ですので,一定の方向性は見えていると思われます。

 なお,このシナプス構築促進に関しては,少し難解ですが,以下のURLが参考になると思いますので紹介しておきます。

 東京都神経科学総合研究所のURLです。ご興味のあられる方はお読みください。

http://www.tmin.ac.jp/medical/16/neurite2.html



[網膜再生治療の総まとめ]

 網膜の再生治療について極めて基礎的なことについて紹介してみました。

 ヒトのES細胞を用いた視細胞の作成までは可能となってきました。これも研究者の方々が昼夜をわかたず取り組んでくださった結果だと心から感謝いたしております。

 一方,私たち患者は「1日千秋の思い」で網膜再生治療の実現の日を待っています。

 どうぞよろしくお願いします。



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