ゆったりした時の流れに身も心もリフレッシュ!!
田舎の実家への里帰り感覚でゆっくりおすごしください。
屋号の由来
「民宿平和の森荘」屋号の由来
昭和56年、父が農業に手詰まり感を持ち小さな民宿を開業することとなりました。農地を処分するなどして資金を調達しあっという間に施設は完成いたしました。島では家屋を新築しますと親族や集落の皆さん、知人友人を招いてお披露目の祝いをする習慣がありますので早速皆さんを案内して新築祝いと相成りました。その際、お祝いのことばや乾杯がありましたがまだ正式な屋号を決めていなかったためとりあえずは「徳田荘」ということでその場を進めることとなりました。宴が進むにつれ、出席の皆様からいろんな意見が出され結局ご提案の中からいくつか取りまとめ後日決定しようということになりました。
その後、皆様方の中で最も提案の多かった「平和の森荘」に決定することとなりましたが、当初簡易宿泊施設で認可を受ける予定だったのが、設計を進めるうちの旅館で認可を受けることがわかり、結局旅館業の認可を受けることとなりました。「民宿」では無く「旅館」とすべきではないかと意見もありましたが「民宿」で良いということになり、最終的には「民宿平和の森荘」ということで一件落着。
「平和の森」とは近くにありますモクマオウ林に由来するのです。ご承知のの方もいらっしゃると思いますが、先の太平洋戦争において鹿児島の知覧や万世から特攻隊として多くの若者たちが南方に向け出撃していきました。その彼らが燃料の最後の補給基地として飛来した旧陸軍飛行場跡のが現在の徳之島空港の東側に広がる平野部にあたるのです。特攻隊として戦火に散った若者の御霊を慰めるために特攻平和慰霊碑が建立されたのです。碑は旧滑走路の北端に南向きに立てられました。その後背一帯には戦後間もない頃に近くの天城町立北中学校の生徒職員一同により防潮・防風目的で植えられたモクマオウ林が一面に広がっており、この慰霊塔建立を機に「平和の森」と称するようになったのです。叉、慰霊碑の正面には約1000メートルの直線道路がありこれを「平和通り」と命名。
そこですぐ近くで営業を始める宿のため、「平和の森」という名称を民宿の屋号に使用させていただこうということになった次第す。
石碑が特攻慰霊碑で後方が「平和の森」です
2019年2月までにこの「平和の森」のモクマオウが全て伐採されてしまいました。所有する浅間集落が「台風のたびに折れるなどで周辺住民に迷惑をかけている」ということ決断したと聞きましたが、宿名の由来が消滅したことはとても残念です。
伐採した跡地をどのように管理していくのか、様子を見守るしかありません。
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