←雑念    ごく一時的  傍若無人
窓跡(掲示板(リンク切れ))

埋まった窓。ご用の方は呼んで下さ






2/20〜

99/02/20(土)

送信(ありがとうございます)して下さった方、なぜそんな質問を?


ここ不可解
ラセン整理


99/02/18(木)

終わり頃


99/02/16(火)

いくつかの時間を思い出す。時間の重なっている分も自分でずらしているとは救いよう無い。ネジを巻け
そういえば、私の持つ時計はなぜかいつも不調。


99/02/16(火)
〜そう、の反乱。お休みなさい。

スピエという曲(18k入手元)を聴いた。 このファイルで言うと2分経過したところの何小節かの間に何かを思い出しかけたけど、...忘れた...。

↓逆でもなかった。色々な不確かさ


99/02/13(土)

>消えてしまった
おりますよ。そちらはどうですか。
こういうところでは声を出してないと消えたように見えるのでいやだ。逆もまたいやです。

謝るのは簡単。遠い過去に兄弟(?)喧嘩で言われたのは「泣けば済むと思って」。 済むとは思わなかったけど、悲しかったし、どうしていいかわからなかった。馬鹿。今でも喧嘩したら同じ事しかできないかもしれない。


99/02/10(水) 独り言
真綿のように柔らかかったり、有刺鉄線のように痛かったり。私が使うのは後者。しかも錆付いている。お許しを、おゆるしを。

あの雨戸、少し開けてあるとよかった。外から開けにくい。

99/02/08(月)

生に向かいながら死に向かっている彼(or彼女)。(2/7)
その”人”は一体どこにいるんだろう。たぶんどちらも同じような所。
何が、というわけでもないけど、何となく流線形のイメージ


99/02/07(日)

生家(遠い)の方に何度か電話があったそうです。名前は忘れたらしい(メモして)「たしか木を連想するような名前」らしい。
どちらにしても少し古い知り合いだと思う。その人の目には、まだあの頃の私しか映っていないのだろうと思うと、変な気がする。当時のことを思い出していると、私は随分”こっち”(過去と反対の方)へやってきたなぁ、と思った。
それにしても、せっかく思い出してくれたのに。一期一会のこの世界、重要な用でなかったら、しぶとく電話を掛けることはいくら何でもしないだろう。なにせ既に名乗ってる。少ない知り合いを一人失ったかな。

彼女の中のもう一人の人は、明日、消えるのだそう。それなのに私はここでぼんやりしている.... こんな私に頼み事をしてくれたのに。 ↓1/31 


99/02/06(土)

言われる前に.....また意味不明な更新(雑念)すみません。こういう誰が見てもわからないようなのは「個人ページ」の意味を取り間違えたいい例。

でも見なくてはならないことは何も見ていない。ずっと。 ↓2/2


99/02/04(木)

>何かが見えてきたら
何か、見える? 私は色が欲しいのかもしれません。今日は虹の夢を見ました。沢山の虹を見ました。 ただ、空の上の方で氷が騒いでいて、もうじき何年に一度という寒波が訪れるそうです。

>昨年もこんなことがありました
楽しみが?いいことですね。 例外もありますけど。その今回の楽しみのような。
「近くて遠い場所」といえば、電話するとおかしな気がします。よく知っている場所の人と繋いでいると、周りの音で風景が見えるのですが実際は。

ところで、押すと私へ届きます。中途半端...


思い出したことなどをバラバラと更新していて何年も前のことを思い出した。全く違うことだけど。
布はざんざこざんに切るものではない。


99/02/02(火)

>なんと気恥ずかしいことか。
食らい合ったこと無いのでその気恥ずかしさは私には多分まだわからないです。良かった.
「食われても跡が残るわけではない」のなら食い散らかすというより消化しているのではないでしょうか。食われた人とは関係のない場所で全く別の物になる、というか。たとえ消化できなくても残した、というだけで。

そういえば、名無しの掲示板、人を食った掲示板。誰の言葉かわからないというのは、言葉をつなぎ止める糸が切れている感じです。独立した言葉は私の中の「あなた(誰それ)」というフォルダに入る確率は極めて低く、それはいつの間にか無名のファイルとして忘れられ、削除してしまうかもしれない...。とてもひどくてもったいないことをしている。
話をするときは例外もあるけれど、それぞれの人に対して内容も口調も違うはず。私がこのページを無色の記号に近くて冷たい場所にしている。すみません。



知りたいと書いたのは、現実、という意味で。例えば目を伏せたいこととか、親切から来る秘密とか。
守られるべき秘密は山のようにあると思います。触れてはならないものや、秘密になっているものなら、もし見えても見ては駄目と思います。知らぬふり、でもなくて本当に。 ....自分を振り返るとこんなこと言えないけど。


99/01/31(日)

卵の殻を剥いたり、魚の背をつついたりすると、自分がひどく残酷に思える。もちろん卵は温めてもなにも生まれないけど。卵についてある人の言葉で、印象的だったのが、「空腹ならばたべるでしょうし、寂しければ育てるのだと思います。」
たぶん私は寂しくても食べるだろう。それを食べてしまったらもう何もなくなるのに。満腹も、暖かさも。
魚、以前魚を食べる時はよく言われた。魚は命を尽くして私の前に現れるのだから大切に食べるようにと。そんなのなら私が彼らの命を奪う資格はないと思っていた。
別に卵や魚がどうというわけではないが、そんな風にたくさんの大切な何かを食い散らかしているのだと思う。


99/01/31(日)

知人sの悩みは強運。
彼女の体内で新しい「人」が自然に作り出されることは無いだろうと言われていたsなのだが、今、それが確実に段階をおって成長しているらしい。喜ぶべきこと。
だけど、父親は既に妻子ある身。....私はなんと言えば良かったんだろう。もし近い未来に彼(or彼女)がsの腕に抱かれることがあるのならどんな人になるのだろう。低い確率を超えてきた人...。


99/01/31(日)

>形もなく姿がみえないものになりたい。(引用すみません)
私も時々思います。でもなっては困ります。誰かがあなたを確認できるのも形があるから。触れられる”存在”を所有しているのは幸せではないでしょうか。

このページも何だか寂しいものです。そういえばあれを思い出しました。よく知らないのですが、懺悔(?)する時、顔も見えない相手と、小声で話し合っている風景(笑)


99/01/30(土)

闇に消えたあなた様の言葉が今朝届きました。