Hand To Hand 5

 

 初めて訪れた異国は若島津達に苦い体験をさせた。
 5対1、完敗だった。
 ハンブルグFCのユースチームとの試合は、格の違いというものを全日本ジュニアユースの面々に嫌というほど思い知らせてくれた。
 おまけに若島津は右手にケガを負い、試合途中でフィールドを去らなければならなかった。これまでどんな試合でも途中でおりることのなかった若島津にはショックだったし、なによりもそれを日向に告げられたことが悲しかった。
(もう俺には日向さんのゴールを守る力がないのか)
 そんなことさえ考えてしまう。南葛戦で痛めた左肩も完治したわけではなかった。痛みがいつ再発するかわからないと医者に言われていたのだ。ケガはゴールキーパーにはつきものだと自分にいくら言い聞かせてみても落ちこんでいく気持ちを止められない。
「さあ、帰るか」
 片桐氏に促されて病院を出た。とりあえずいつもと変わらない表情をつとめる。が、その表情はすぐに壊された。
「キャプテン!」
 いきなり病院の玄関先に日向が現われたのだ。
「若島津! 大丈夫か」
 若島津は思わず息を呑んだ。何故こんな所にいるのかということもあるが、何より日向の顔に殴られた痕があることに驚いた。自分の悩みはひとまず忘れてしまう。
「一体どうしたっていうんです!」
「ちょっと、若林とな…」
 少し罰が悪そうに笑う顔に若島津は安心するが、それでもやはり気にかかった。
「ドイツに来てまで喧嘩沙汰なんてごめんですよ」
「わかってる。借りは試合で返すさ」
「負けたんですね」
「ああ…」
 少しだけ肩を落とした日向に、若島津は彼の悔しさの程を知った。

 

 右手が使えなくてはシャワー一つ浴びるのにも不自由するだろうという三杉の配慮で、若島津は反町と同室にしてもらった。確かに同じ東邦組の反町なら、他の連中に頼むよりずっと気兼ねがいらない。だがその分、余計なことまで仕入れてくるから困るのだが。
「日向さんは外に行ったまま帰ってこないみたいだな」
 隣室の様子を伺ってきた反町が帰るなり報告した。今はなんとなく日向のことを考えたくなかった若島津は文句の一つも言いたくなるが、堪える。反町は妙に鋭いから、余計なことは言いたくない。
「きっと吉良監督から送られてきたボールを蹴っているんだろう。あの人は負けたままでいる人じゃないからな」
 とりあえず平静に答える。が、そんな若島津の心境など知らない反町は話し続ける。
「しかし、あの時は凄かったんだぜ。日向さんと若林、重量級の殴りあいだもんな。あの次籐と早田が止めに入らなきゃならなかったんだから、どれだけのものか想像がつくだろう」
「だけど、それで少しは気が晴れたんだろう。俺の所に現われた時はさっぱりした顔だった」
「そりゃそうさ。おまえの顔を見れば、日向さんの不機嫌も吹き飛ぶって」
「それはどういう意味だ?」
「意味って…だって…」
 言葉に詰まる反町を軽く小突いて若島津は寝支度を始めた。いつまでもこんな話につきあっていられない。
「おまえも馬鹿なことばかり言ってないで眠ったらどうだ。俺は疲れたよ」
「そうだな。明日からもまだまだ続くんだもんな。おまえも早くそのケガを治して全日本のゴールを守ってくれよ。日向さんを押さえられるのはおまえだけなんだから…いてっ! 暴力反対!」
「フン! 本気で叩くかい。俺はもう寝るぞ」
「はーい、はい。もう言いません」
 ふざけながらベッドに入る反町を見つつ、若島津も目を閉じた。眠ってしまえば日向のことだって気にならなくなるだろう。それに今日はなんだかとても疲れていた。すぐに深い眠りに入っていきそうだった。
 だが目を閉じた途端、シュナイダーのシュートを受けた瞬間のことを思い出してしまった。右手が心なしか痛みを訴えてくる。そうなると、忘れかけていたケガへの不安までもが甦ってきた。とてもではないが眠れそうにない。
 観念して目を開けた。
(俺はどこまでいけるんだろう…)
 結局、若島津は一時間ほど寝付けないまま過ごしてしまった。その間何度か、殴られた日向の顔が脳裏に浮かんできては若島津を悩ませた。

 

 各国での親善試合を終え、ジュニアユースの一行は本来の目的地であるフランスにやってきた。
 ドイツで翼が合流してからチームは次第に調子が上がってきていた。もちろん翼の影響の大きさもあったが、なにより最初の敗戦で彼ら本来の負けん気に火がつき、それぞれ努力し始めたその成果が現われてきたのだ。
 そして第一回国際ジュニアユース大会が開幕した。
 タイムアップ寸前、日向がイタリアゴール目がけて猛然と走りこんでいた。
 鉄壁の守りを見せるジノ・ヘルナンデスの前に決勝点を取れない全日本の最後のチャンスだ。
「くらえ! これがネオ・タイガーショットだァ!」
 黄金の右足がふり下ろされた!
 イタリアゴール目がけて一直線にボールが突き進む!
 ジノの右手が掴む!
 が、ボールはその手を弾き、ネットに突きささった!
 ピィィィィィ!
 試合終了だ! 全日本ジュニアユースの勝利だ!
「やった! 日向!」
「日向!」
「日向さん!」
 若島津もみんなと一緒に日向に向かって走りだしていた。遠目にも日向がとても満足そうに笑っているのがわかる。その笑顔を見るだけで若島津も嬉しくなってくる。それなのに、
「俺は世界1のエースストライカーを目指す!」
 飛びこんできた日向の声に、若島津は思わず歩をゆるめた。遠くから見る横顔はなんだかいつもより大人びた表情をしている。
「うん! 日向君。そして、いつか俺達の手で日本をワールドカップで優勝させよう!」
 翼はこれまたとんでもなく嬉しそうな笑顔で日向の手を両手でがっしりと掴んだ。
「翼、その前にこの大会だろ」
「そうそう」
「ハハハハ! 翼らしいけどな」
 みんなの笑い声で場が和んでいく。若島津も笑っていた。だが心から笑っていなかった。胸の奥がチリッとなにかに刺されたように痛い。
(どうしたんだ、俺は…なんで…)
 ちらっと日向を見ると満面の笑みで松山達と話している。
(日向さん…)
 若島津はなぜか日向の側に寄れなかった。
 距離をおくようにして歩きだした。

 

 大会二日目の夜、全日本ジュニアユースのメンバーはホテルを抜けだした。
 近くの公園でユニフォームを真っ黒にするまで練習した彼らは誰からともなく輪になるように座りこんだ。
「ここまで来ちまったんだ。もう逆戻りはできねぇ」
 そう言った斜め前に座る日向の横顔を若島津は見た。
 若島津は昨日からサッカーに関すること以外、日向と話していなかった。顔さえもまともに見ていなかった。そのせいだろうか、見慣れたはずの顔なのになんだかドキドキする。
「俺達は走り始めちまったんだ」
 そう言った日向の瞳の煌めきは若島津が憧れてやまないものだった。この輝きに魅せられたからこそ若島津はサッカーを選び、今ここにいるのだ。が、今の若島津には彼の瞳の輝きは眩しすぎた。
「今度は世界だ。これからもサッカーを続けていくからには世界を目指す! 目標は世界だ。ワールドカップ優勝だ!」
 そうだと頷きながらも、断言した日向の背中が妙に遠く感じられる。こんなにすぐ近くにいるというのに。
 自分も同じ気持ちのはずなのに、みんなのように興奮もしていない。むしろ冷静だ。自分一人が画面越しに彼らを見ているような感覚と云えるだろうか。
「よし、まずはこの大会の優勝だ!」
「おう、翼!」
「そうともよ!」
 一緒に叫びながら若島津の心は揺れていた。
(あんたが世界を目指すことが出来る人だというのはわかっている。そうだ、わかっていたことだ。でも俺は…)
 思い至った考えに若島津は自分で自分が嫌になった。
(俺はどこまで、あんたについていけるんだろう…)
 右手の傷跡をじっと見つめた。

 

「なあ、反町。なんだか昨日から若島津に避けられているような気がするんだが、どう思う?」
 西ドイツ対ウルグアイの観戦に向かう途中、日向にいきなり言われた反町は飲んでいたドリンクをこぼしそうになってしまった。
「避けるって…まさか…」
「いや間違いない。なんか様子がおかしいんだよな。おまえ、何か聞いていないか」
 日向がこういうことに気付くとは思っていなかった反町だった。実は反町は、もう昨日の朝から若島津が何だかおかしいとは思っていたのだが、アルゼンチン戦でいきなり三点も取られた時に若島津がいつもと違う精神状態だと確信していた。
 よく見ていれば日向とは明らかに距離を取っているし、決して彼から話しかけようともしない。どう見てもおかしかった。だが、それをそのまま言うのははばかれた。
「何も聞いてませんよ。気のせいですってば」
「だけどな」
「気になるんなら本人に直接聞いてみたらどうですか」
「フン、こんなことを聞けるかよ。俺の思い過しなら、それでいいんだ」
 日向は憮然とした表情で行ってしまった。
(若島津の奴、またなにかややこしいことでも考えて悩んでるのかな)
 若島津と知り合って二年以上経つが、反町は彼の性格の大部分を見抜いていた。つまり、どんなことにも動じない心臓の持ち主のくせに、こと日向小次郎に関しては馬鹿みたいに気にして必要以上のことにまで考えをめぐらすのだ。
 例えば、あの日向の失踪事件の際など、表面上は至って冷静だった若島津が、実は食事の量もぐんと減らしてしまい、睡眠不足にまで陥っていたことを反町は知っていた。
 しかし、それを他の部員に気付かせなかった若島津も若島津だが、それに気付いてしまう反町も反町である。無論、反町は他言しなかった。だが、今まで以上に若島津と日向に関心を持つようになってしまった。
(原因は日向さんなんだろうけどな。俺が何を言ったところで、どうにもならないのはわかっているし)
 だから、ただ若島津を観察するのみだ。
 西ドイツ対ウルグアイの試合が始まった。反町は日向からも若島津からも距離を取り、二人を背中から見れる位置に陣取った。日向の隣にはタケシが座り、その隣に若島津がいる。しかし若島津は反対側の若林とばかり話をして日向の方を見ようともしない。
 日向はというと、それに気付いて明らかに不満の色を示しているのが背後からもよくわかる。
(まずいよな。すっかりイライラしているぞ。今日のフランス戦は大丈夫かな)
 妙な不安を覚える反町だった。
「おい、若島津」
 観戦を終え、自分達の試合の為に控え室に向う途中、日向は若島津の腕を取って引き止めた。
「なんですか?」
 若島津は眉をややひそめて日向を見た。ケンカもしていないのにこんな顔をして日向を見ることなど今までなかった。ムッとしていた日向はさらに不機嫌になる。
「おまえこそ、なんなんだよ。俺に文句でもあるのか」
「文句? どうしてですか、薮から棒に」
 しれっと言われ、日向はハーッと深く溜息をついて若島津の肩に手をかけた。
「あのな、俺を無視するなら、それなりの理由を示せ。でなきゃ今まで通りでいてくれ。おまえはなんとも思わんかもしれんが、急に態度を変えられると切り替えの遅い俺は困るんだ」
「…そんなつもりじゃ…」
 若島津が気まずそうに視線を落とした。それもなんだか日向には気に入らないが、これ以上の追求も出来なかった。
「おい! なにしてんだ。早く来いよ!」
 ちょうど松山の大声が廊下に響いた。
「チッ! 続きは後だ」
 日向は肩にやっていた手を離して、さっさと歩きだした。
 その背中に若島津は思わず言葉をかけたくなった。が、それを呑み込み、若島津も後に続いた。

 

 雨が降っている。
 早田が退場させられ、絶対的に不利な状態で戦ってきた全日本ジュニアユースだが、なんとか4対4で延長戦にまで持ちこんだ。あと二十分で全ては決まる。
 若島津は右手の痛みを堪えながらゴールに向かっていた。
 いまだ不利な状況は変わらない。立花兄弟と三杉はすでにまともに戦える状態ではなかったし、翼一人しか気付いていなかったが、自分の握力もどんどん落ちている。
 だが若島津は何が何でも守りぬくという堅い決意を抱いていた。
 右手が痛み出してから、若島津は今年の決勝戦、対南葛戦の時のことを思い出していた。あれから一月も経っていないのに、もう随分前のような気がする。
 あの時も以前事故にあった左肩が痛みだし、それに堪えながら守らなければならなかった。あの時、日向はそんな自分を信頼してくれて一緒に守ってもくれた。それがどんなに嬉しかったことか、若島津は今更ながら思い出した。
『延長戦も頼むぞ』
 そう言って左肩を撫でていってくれた日向の手の熱ささえ蘇ってくる。
(あの時俺は、他の誰の為でもない、あんたの為に守りぬこうと誓ったんだ。そうだ…そうだった…)
 雨の中、遠くに見える背番号9の後姿を見つめる。
(あんたがいたからこそ俺はサッカーをしているんだ。すべてはあんたから始まったんだ)
 右手の拳を握り締めてみるが、ほとんど力が入らない。だが顔色一つ変えずにゴールに立つ。
(少しでもあんたの力になりたくて、走り始めたんじゃなかったか? それが俺の原点だったはずだ)
 日向が中央突破してフランスゴールを目がけてドリブルしている。だが三人がかりのタックルに日向が膝を着いた。
 しかし試合はおかまいなしに続く。
(あんたが世界を目指すというのなら、俺も目指していく。ついていけなくなる日がいつか来るかもしれない。だけど、それまで俺は全力であんたのゴールを守ってみせる! 日向さん!)
 ルイ・ナポレオンのキャノンシュートが向かってくる!
 若島津は冷静にキャッチした。が!
「ぐっ!」
 右手から鮮血がほとばしった! 思わず若島津は右手を押さえ、しゃがみこんでしまった。
「みんな諦めるな! 絶対に勝負を捨てるな! 俺達は勝つ、必ず勝つんだ!」
 日向の怒声に必死に気を奮い起す。
 そうだ、負ける訳にはいかないんだ! そう思った瞬間、若島津はキッと顔を上げて叫んでいた。
「おう! 負けない、この手が折れようと一点もやるもんか!」
 日向と若島津の必死の叫びがみんなに伝わったのか、一瞬動揺した全日本ジュニアユースのメンバーの顔にやる気がみなぎりだした。次々に檄を飛ばす。
 若島津は血で一杯になったグラブの不快感に堪えながら立ち上がった。日向と目が会った。そらさずに真っすぐな視線を返す。
(もう迷わないよ。俺はあんたのゴールを守る、その為だけにここにいるんだから)
 立ち上がった若島津に日向はとりあえず安堵の溜息をついた。
 避けられていると思っていたから、目をそらされなかったことも嬉しかった。ずっと胸に蟠っていた訳のわからないものも若島津の真っすぐな視線で溶けていく。
 だが、若島津のケガが心配なことに代わりはない。自分も右足をやられて痛いが、こうして走れるのだから若島津ほどの痛みではないと思う。
 ボールを弾くたびに若島津の右手から血が飛び散る。だが決して若島津は弱音を吐かなかった。倒れても立ち上がり、痛みに顔を歪ませても若島津はボールに向かっていく。本当にゴールを死守していた。
 そんな若島津の姿を見ていると、日向は今まで幾度も若島津に助けられていたんだとつくづく思い出す。
 小学生時代のふらの戦も若島津が来なかったら負けていた。この前の都大会だって、倒れた三杉の前に動揺した自分を救ってくれたのは若島津だった。出場が許されなかった全国大会も、若島津がいたからこそ決勝戦まで勝ってこれたのだ。
(そうだ。翼と戦って俺はいろんな事を教えてもらった。サッカーの楽しさも翼と戦わなかったら、きっと一生気付かなかったに違いない。だけど若島津がいなかったら、俺はその翼との試合も出来なかったんだ。あいつがいたからこそ俺はここでこうして戦っていられるんだ)
 試合はとうとう両チームとも一点も入れることが出来ないままタイムアップ、PK戦に持ちこまれた。若島津がケガをしている全日本は不利だったが、それでもメンバーは弱気にはならなかった。
 タイムアップを待つように雨は降り止んでいた。それでも暗い雲がフィールドを覆っている。
 その中で日向は日本チームの一番手として立った。黄金の右足を振り下ろす。ボールは一直線にゴールに突き刺さった!
(俺はやったぞ、若島津)
 日向はゴールを決めた後、ずっと若島津の動きを追っていた。いや、追っていたというより目が離せなかったのだ。
 いつもなら簡単に取れるはずのボールが取れない。その悔しさに日向の方が憤っていた。
(がんばれ、若島津…がんばるんだ)
 祈るような気持ちで若島津を見つめる。
 松山、岬、三杉と、全日本も四人までPKを決めた。フランスも四人とも決めた。
 あと、それぞれ一人ずつ、翼とルイ・ナポレオンだ。
 若島津はやや顔色を白くしているが、唇をかたく引き結んだ表情にも、しっかりと相手を見返している瞳の色にも、彼の闘志が現れている。
(若島津!)
 ルイ・ナポレオンのキャノンシュートが放たれた!
 若島津は瞬時に反応した。血だらけの右拳とボールがぶつかる!
「正拳ディフェンスだァ!」
 ボールが砕けた!
「見たかァ! 俺はとめたぞォ!」
「よく止めたぞ、若島津!」
 誇らしげに自分の右拳を突き上げた若島津に日向は思わず叫んでいた。すぐにでもかけ寄りたいのを必死に押さえ、翼の最後のシュートを息を呑んで見つめる。
 決まった!
 その瞬間、日向は立ち上がって若島津の元にかけ寄っていた。真っ先にかけ寄った翼を押し退けるように若島津の左手を握った。
「若島津、勝ったぞ!」
 抱きつかんばかりの日向の勢いに若島津は気押されるが、真っすぐに見つめ返す。
(本当にあんたのゴールを守れたんだ。良かった、本当に…良かった)
 泣きたい位の嬉しさに若島津は言葉に詰まった。
「本当によくがんばったな」
 日向の笑顔になんとか笑って答える。
「でも、これでまたしばらく、あんたの練習相手が出来なくなっちまった」
「バカ、そんなもん。それより早く手当てを…」
「大丈夫だよ。それより今はこの雰囲気に酔っていたい」
 若島津は幸せそうな表情で喜び抱き合う仲間達の顔を見まわした。
 その顔は試合前のどこか難しい顔とは明らかに違う、日向が好ましく思っている顔だ。なぜか知らないがドキドキする。
 不意に日向は思わず若島津を思いっきり抱きしめたい衝動にかられた。理由なんてわからない。
 だが、この衝動が今の場には相応しくない、なんとなくおかしなものだという気はした。だから必死に耐えて、若島津の左手を握る手に力をこめた。
「日向さん?」
 不思議に思った若島津が首を傾げる。慌てて言いつくろう。
「さあ、行こう! 応援してくれた連中に礼を言おうぜ!」
「はい!」
 日向に引っ張られるようにして走りながら若島津は戸惑っていた。日向が握る左手がとても熱い。まるで熱でももっているかのようだ。胸もドキドキしてきた。
 だが、ちらっと盗み見た日向の満足気な顔に若島津は戸惑いを忘れた。今はまだ日向の隣を走れる。それでいい。
(若島津、どうしておまえの手がこんなに熱く感じるんだ)
 手を離した後までも若島津の手を握っていた感触が消えず、日向は困惑していた。
(一体どうしたっていうんだろう、俺は。なんで、こんなに若島津のことが気になるんだ)
 日向は自分で自分がわからなかった。
 だから、若島津がいつもと変わらない笑顔で自分を見てくれる、今はその嬉しさだけに心を傾ける。
 ふと空を見上げると、あの暗い雲はどこかに消え去っていた。空にはうっすらと雲がかかり、その隙間からもれる光がとても眩しい。
「勝ったんだな、俺達」
 空に目を向けたままポツリと呟いた日向に若島津も空を見上げた。
「……ええ…」
 とても綺麗な空が広がっていた。

 

歩み/Hand4