ファーストコンタクト2

 

 本来は初等部からの持ち上がり組のための入学式前の練習だが、若島津と特待生の日向は特別に参加が認められて、一緒に挨拶代わりのシュート練習をしている。
 特別扱いに反町は文句を言うが、直に2人のシュートが見られるとあって、俺はすごく楽しみにしている。これから嫌ってほど見られるだろうが、やっぱり少しでも早く見てみたかった。
 実際、壮絶なシュートだった。
 初めて間近で見た日向のシュートに、俺はもちろん、小池も松木も、そして反町も絶句した。これが同じ年の奴だろうか。
「次、若島津健!」
「はい!」
 しっかり見つめる。決勝戦では若林に取られはしたが、かなり威力のあるシュートを打っていた。
 バシッ!
「ほうー」
 溜息ともつかない声が広がる。日向には負けるが、かなりのスピードがあるシュートだ。これでゴールキーパーなんだから、とんでもない。
「次、反町一樹!」
 いまだ若島津のシュートの余韻が残る中、反町の名前が呼ばれた。あの2人の後になった反町は不運としか言い様がない。先輩達にアピールするどころか沈没だ。
 しかし反町はかまわず足を振り上げた。
「あっ…と!」
 ドワッ! 一斉に笑い声が起きる。
 あいつは、やった。本気で振り上げた足を実にうまく空振りさせたんだ。
「すみませ〜ん! もう一回お願いします!」
 大声で元気よく謝る。
「一回だけだぞ!」
「はいっ!」
 雰囲気が変わった中、今度こそ反町は鋭いシュートを決めた。なかなかいいシュートだ。
 まったく、あいつらしいというか、なんというか。日向達の前を通りすぎる際、しっかと日向を見据えたりするところもあいつの強気の現れで、あきれる反面安心もした。戦う前から負けを考えないのがあいつの長所だったと思い出す。
「反町ってのはなかなか面白い奴だな」
 練習後の後片付けをしている時、日向が言った。話題の奴は向こうのゴール付近でボール拾いをしている。
「あいつの度胸のよさは初等部の時から有名で、先輩達もよく知っているんだ」
 まだ四月も初めだというのに、寒くないのか、日向はシャツの袖を肩までまくり上げて上腕をむき出しにしているんだが、グランドをならす腕の筋肉はまるで高校生並だ。思わず見惚れそうになるのをこらえる。
「あいつはフォワードだったな。足は早いのか?」
「ああ! 俺達、初等部から来た中では一番だよ。陸上部からも引き抜きが来るくらいなんだ」
 俺はまるで自分の事のように自慢げに言ってしまった。日向の足の早さは今日の練習で嫌ってほどわかったが、それでも張り合えるものが一つくらい欲しいではないか。
「へー、そいつはいい」
 日向は何やら面白そうに笑っている。なんだ、こいつは?
「おまえは中盤だったよな」
「ああ」
「よろしくな!」
 俺は思わず絶句しかかった。なんて言えばいいのか、これは。日向はとんでもなく無邪気な笑みを浮かべたのだ。
 たいした時間こいつと顔を合わせていたわけではないが、いつもパッと見では怒っているんじゃないかと思えるような顔をしていた。それなのに、今、日向が見せた顔は年相応の子供の顔をしている。
「なんか俺の顔についているか?」
「いや。それより、こっちも早く終らせよう。あっちのグループは終りそうだ」
「おう!」
 いい奴なのかもしれないな、ふと思った。
 俺達が日向と若島津と同室になったと聞いた寮の先輩達は一様に同情してくれた。今朝など、頑張れよと声をかけてくる先輩が何人いたことか。
そのくせ、2人が食堂に姿を現すとピタリと止む。
 俺にはまだ、どうしてこの2人がこんなにも恐がられているのかよくわからない。確かに強面だし、とても中一とは思えない雰囲気があるが、例えばいじめっ子特有の匂いは感じない。むしろ親分肌の奴じゃないかと思うんだが……
 この俺の言葉に、反町は憤然と否定した。あいつの反感は相当根が深いようだ。普段は気のいいお調子者のくせに、意地になるとなかなか引かないんだよなあ。
「おい、島野!」
 反町が俺を睨みつけている。俺は内心ウンザリしながら親友の顔を見た。案の定、怒っている。
「どうして、あんな野蛮な野郎と口を聞くんだ。俺があいつのことを嫌ってるのを知ってるくせに」
「あのな、反町」
 わざと大きく溜息をついて、反町の肩に手をついた。
「おまえがムキになって嫌うほど、あいつは悪い奴じゃないと思うぞ」
 反町の顔がプッと膨れる。
「それに寮の部屋が一緒、クラブも一緒なんだぞ。ずっと口も聞かずにやっていけるもんか」
「それにしたって、あんなに親しげに話さなくもいいじゃないか。俺への当てつけかよ」
 こいつは本当に拗ねている。まったくガキなんだよな。
「バーカ。くだらないことを言ってないで、さっさと行くぞ。入学式早々遅刻なんかしたくないっ!」
 ダッシュした俺を追って、反町も走りだした。
 校門から講堂へ向う途中にある掲示板には人だかりがしている。クラス割りが張りだされているんだ。俺達はさらにダッシュし、人波をかきわける。
「あ、俺は1組だ。若島津と一緒だな。おまえは…おい!」
 隣を見れば、反町は呆けたように掲示板を見ている。その視線の先をたどり、俺は苦笑した。
 よりによって、こいつは日向と同じクラスになっちまったんだ。
「天命だな。日向と親しくなれっていう」
「冗談じゃないっ!」
 が、俺は楽観していた。
 反町が、日向のようなタイプの人間に興味をもたないわけがないからだ。現に、練習を一緒にしてみて、日向が並の選手ではないということを納得していた。後ひとおしあれば、反町の反発などきれいに消えてしまうだろう。そういう奴なんだ。口でどんな風に言っていても、根には持たない。
 むしろ俺は若島津の方に手強さを感じていた。一見愛想はいいが、腹の底は簡単には見せないタイプだ。俺こそ、大変な一年になりそうな予感がした。

 

俺の予感は早速当たってしまった。
 1年1組の初めてのホームルームの後の休憩時間、俺は新しいクラスメイトと慣れるべく、右隣の席の新顔の川辺と話していた。ちなみに、若島津は俺の左斜め後の席で本を読んでいる。
「へえ、寮じゃ俺達の部屋の下の階なんだ」
「なんだ、そうなのか。良かった。寮でも知り合いっていえる人間はまだいないし、不安だったんだ」
 川辺は安心したように笑う。確かにそうだろう。クラスの半分以上は初等部から持ち上がりの連中で、俺など顔見知りばかりだが、初めて来た人間はさぞ大変だろう。
「でも、どうしてまた神奈川からわざわざこんな田舎の学校に来たんだ? そりゃあ施設はいいし大学までエスカレーターだけど、周りにはホンットに何もないもんな。俺なんか、親父がOBじゃなかったら来てなかったぜ」
「俺も考えたけど、ここは…」
 川辺が言葉を切った。背後で馬鹿高い声で大笑いする奴らがいたのだ。騒ついていた教室中のみんながそいつらに注目する。振り返らなくても、俺はその中心が誰なのか知っていた。
 黒崎邦博、『東邦の恥』と俺達が秘かに呼んでいる奴だ。こいつの無神経な物言いには初等部時代から定評があった。しかも、こいつをはじめ、取り巻き連中は揃いも揃って腕力があって教師受けだけはいいから、なかなかやり返すことが出来ないときている。果たして、今日は何を言うのか。
「そういやあ、あの4組の特待生の日向小次郎な、本当は借金だらけの貧乏で、とんでもなくみすぼらしい家に住んでるんだって」
「へえー。確かに見た目も伝統ある東邦にふさわしくない感じだもんなあ」
「あいつの普段着を見たことがあるか? 着古した汚いTシャツを腕まくりしてさ、ろくに服も買えないんだな」
「見るからに粗野だし。金のためだったら、なんだってしそうだよな」
 四人組が好き勝手なことを言っている。聞いている方が頭痛がしてくる。まったく、こいつらは!
 原因の見当はすぐについた。講堂にクラスごとに集合した時、やはり同じクラスになった中野美弥子が若島津に親しげに声をかけたからだ。
 中野は美人で、大臣になったとかいうお祖父さんがいて、母親は華族の出身だいう、それこそお金持ちのお嬢様だ。当然、初等部の頃からもてていた。
 その彼女に、黒崎がずっと粉をかけているというのは有名な話だ。もっとも中野は単なる取り巻きの一人としてしか見ていないようで、彼女の方から黒崎に話しかけることは滅多になかった。
 それが、若島津には実にきれいな笑顔で近付いていったんだ。黒崎が怒ろうというものだ。で、若島津への嫌がらせに、相棒の日向の悪口を言っているんだろう。
 しかし黒崎もバカだ。あの後の中野の顔をちゃんと見ていれば良かったのに。
 若島津はきっぱり言ったんだ。
『こんな年から男にしなを作っていると、ろくな男をつかまえられないぞ』
 あの時の中野の顔はなかった。しばらく口をあんぐり開けて若島津を見ていた。その後は当然、若島津に近寄りもしない。まったく若島津ときたら、綺麗な顔して、あんな言葉をさらりと言っちまうんだよな。でも、ちょっとせいせいした。
 なぜかって? 確かに中野は美人で男心をくすぐるけど、派手好きな性格とか、ちょっと格好いい男がいるとすぐに自分をアピールするところが好きじゃないんだ。
 しかし黒崎、こんなことで他人の悪口を言うおまえの方が伝統ある東邦によっぽどふさわしくないぞ!
「屋台でバイトしてたっていうが、ほかにもどんなバイトをしていたか、わからないよな」
「とりあえず、あいつの近くでは財布や金目のものには気をつけようぜ」
 いい加減にしろ! 俺は意を決してそう言おうとした。
 が、それより先に、黒崎の鼻先5センチに拳が突きつけられていた。
 拳の主は、ついさっきまで黙って本を読んでいた若島津だ。無表情に黒崎を見ている。怒った顔ではないのだが、なんとなく雰囲気が危ない。
「な、なんだよ! やろうっていうのか!」
 声が引きつってるぞ。取り巻きの三人も、若島津より背も高くてデカイくせにビビっている。
「素人に空手技をかけるのかよ!」
 連中は今になって、さっきの自己紹介で若島津が空手をやっていると言ったことを思い出したらしい。
 が、若島津はひるみもせず、低く押さえた声で言った。
「おまえらには技をかける必要もない。いいか、言いたいことがあったら、本人の前で言え。本人がいないところで、さも他人に聞かせるように声高に言うのは卑怯なだけだ」
 一見表情は変らないようだが、よく見ると目が怖い。日向の普段の目つきの悪さの方が絶対マシだ。
「ほ、本当のことだろう!」
 黒崎の馬鹿は若島津の怒りに気付いていないようだ。性懲りもなくまだ言っている。
「何が本当なのか、おまえにわかるというのか。日向さん本人を知りもしないおまえに」
「だけど、バイトの話も借金の話も事実だろっ」
 取り巻きの一人が口を出す。そいつをちらっと一瞥し、若島津は口の端に笑みを浮かべた。
「それがおまえらに何の関係がある。第一、人に恥じることなど何一つやっていない。それでも言いたいことがあるなら、日向さん本人に直接言うといい。取り巻きを連れないで、おまえ一人でな。それと、」
 やおら、若島津は胸ポケットから小さな手鏡(どうしてこんなものを持ってるんだ?)を取り出し、黒崎の目の前に突きつけた。
「悪口を言っている時の人間の顔ってのはひどく醜いらしい。もてたかったら、これをよく見て研究するんだな」
 そう言って、あいつは……
 何事もなかったかのように若島津は自分の席に戻っていった。黒崎は呆然とした表情でコナゴナになった鏡の残骸を見ている。 目の前で素手で軽々と鏡を割られちゃあ、いくら黒崎でも何も言えないだろう。
 それにしても若島津って……
「すごいな、あいつ」
 川辺の呟きに、俺も頷く。
「俺、あいつや日向が東邦にいて嬉しいよ」
「え?」
 あんなことのあった後に聞く言葉とは思えず、耳を疑ってしまう。が、川辺は人の良さそうな笑みを浮かべている。
「俺さ、サッカー部に入りたくて東邦に来たんだ。東邦のサッカー部って強いだろ? だから……もちろん、あの2人がいるとは思ってなかったけど。嬉しい誤算だった」
「……ああ、きっと、そうなんだろうな」
 俺もそう思う。多分、この2人の存在は嬉しい誤算になるだろう。しかし、そうなるまでが大変そうだな。
 とりあえず若島津を怒らせないようにしようと思う。

 

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