妙好人のことば(5)
“本寂「信の得られたすがたを一言もうしてみよ」
庄松「なんともない」
本寂「それで後生の覚悟はよいか」
庄松「それは阿弥陀さまに聞いたら早ようわかる。われの仕事じゃなし。われに聞いたとてわかるものか」
本寂「よういうた。弥陀をたのむというもそれより外ない」”


 あるとき庄松は、五、六人の同行と京都の本山、興正寺へ参りました。
 そのころの興正寺は、まだ西本願寺派に所属していましたが、事実上は本寂上人を中心にして独立しているような観がありました。
 それが完全に独立して真宗興正寺派を名乗るのは明治9年のことで、庄松がなくなった後のことです。
 さて、興正寺へ参拝した庄松は、同行たちと一緒に帰敬式(おかみそり)をうけることになりました。
 帰敬式というのは仏前で
「南無帰依仏・南無帰依法・南無帰依僧」ととなえ、「今日からわたしは仏陀(ほとけ)を心の依りどころとして生き、仏陀の説かれたみ教え(法)を人生の指針と仰ぎ、仏陀のみ教えを実践するなごやかな集い(僧)を心の支えとして生きていきます」と誓って、仏弟子となっていく入門の儀式のことです。
 そのときの門主が、一人ひとりの頭に三度カミソリをあてて、剃髪の儀礼をされますから
「おかみそり」とよぶのです。
 門主の本寂上人が庄松の「おかみそり」をすませて次へ移ろうとされたとき、突然庄松がふりむきざまに上人の衣の袖をひきとめました。
 ハッとしてかえりみられた上人にむかって庄松、
「アニキ、覚悟はよいか」それは低い声でしたが、静寂な本堂尼ひびきました。
 なみいる人たちが驚いて注目したときは、もうその手をはなし、なにごともなかったかのようにだまっていましたし、上人も儀式を続けていかれました。
 式が終わると大さわぎになりました。
 「無茶をするにも程がある、なんという無礼をしでかしてくれたか」
 「これにはきっとおとがめがあるにちがいない。」
と、同行たちが口々に心配しているところへ、奥からおとりつぎの僧侶がでてきて、
 「いま善知識の法衣をひっぱったお同行はどこにおるか、ご前へ出られよとのおおせじゃ」
という。
 庄松は平気な顔をしているが他の同行たちは気が気ではありません。
 平身低頭して、
 「この男は、もともとばかでありまして、一文、二文の銭さえ数えられぬようなものでございますので、ご無礼の段、どうぞお慈悲を持ってお許しを願いとう存じます。」
と謝りました。そこで取次ぎの僧が、その旨を上人に伝えましたが、
 「いや、どうでもよい、ともかくも一度そのものをここにつれて来い」とのことで、しかたなく庄松を御前へつれていきました。
 のこのことついていった庄松は、御前へ行くとぺったりとあぐらをかいてすわりこみました。
 「さきほどわたしの袖を引っぱったのは、その方であったか。」
 「ヘエ、おれであった」
 「何と思って引っぱったのじゃ」
 「ヘエ、それは、そんな赤い衣を着ていても、赤い衣で地獄をのがれることならぬで、後生の覚悟はよいかと思うて云うた」
 「さぁ、それじゃ。その心持が聞きたいためにそなたを呼んだのじゃ。わたしを敬うてくれる人はたくさんおるが、親身になって後生の意見をしてくれたものは、そち一人じゃ。よう意見してくれた。
しかしそちはどうじゃ、信をいただいたか」
 「ヘエ、いただきました」
 「その信を得られたすがたを一言もうしてみよ」
 「なんともない」
 「それで後生の覚悟はよいか」
 「それは阿弥陀さまに聞いたら早ようわかる。われの仕事じゃなし、われに聞いたとてわかるものか」
 「よういうた。弥陀をたのむというもそれより外はない。多くはわが機(人々そのもの・または人々の仏にたいする信心を表す)をたのんでおるでいかぬ。お前はまことに正直な男じゃ。今日は兄弟の杯をするぞよ」
 本寂上人は非常に喜ばれて、早速召使を呼んで酒を取り寄せ、上人自らのお酌で兄弟分の杯をかわしたそうです。
 このとき庄松は上人から「釋正真」という法名をいただいています。
 この本寂上人というのは、鷹司家から興正寺へはいられた人で、なかなかの人物でしたが、よほど庄松が気に入ったとみえて、
 「これから京都へきたときは、かならずたずねてこい」
といって「このものがたずねてきたときには、すぐに奥へ通すよう」というお墨付きまで与えられたそうです。
 庄松は上京して興正寺へ参ると、そのお墨付きをみせて、
 「おれの行くとこは、どこじゃ、どこじゃ、」といったそうで、それを見つけたものはすぐに御前へ案内したということです。
『妙好人のことば・梯 實圓師 著』・法蔵館より