病理学は,病因論と病変論について研究する学問です。
本疾患の病因については,後ほど詳述するとして,「網膜色素変性症」を病変という観点から考えてみたいと思います。
病変とは,疾患の時に,細胞や組織,臓器などがどのように変化するかを研究する学問です。
病変には
(1)循環障害
(2)退行性病変
(3)進行性病変
(4)炎症
(5)腫瘍
(6)免疫異常
などがあります。
それでは,この「網膜色素変性症」ですが,これは退行性病変に分類されます。
なお,この退行性病変を,更に,萎縮,変性,そして壊死に分類できます。
これでおわかりいただいたと思いますが,「網膜色素変性症」は,退行性病変の中の変性に分類されます。
退行性病変といえば,以前なら,まったく注目されない病変でした。注目されないというよりは,治療する手段を持たなかったため,取り挙げられる機会が極めて少なかったという方がより正確な表現だと思います。
ところが,最新の医療分野として,「再生医療」というものが登場してきました。この医療の登場により,退行性病変も治療できる可能性が見えてきたのです。
万有製薬株式会社のメルクマニュアルより引用してみたいと思います。
網膜色素変性症はまれな病気で,網膜に変性が起こり,進行してやがて失明に至ります。
網膜色素変性症は遺伝することが多い病気です。あるタイプの網膜色素変性症は優性遺伝で,片親からでも病因となる異常遺伝子を引き継ぐと発症します。別のタイプは劣性遺伝で,両方の親から異常遺伝子を引き継がない限り発症しません。X連鎖劣性遺伝型のものは,母親から異常遺伝子を引き継いだ男性に主に発症します。遺伝性の聴覚喪失を伴う例もあり,その多くは男性に起こります(アッシャー症候群)。
網膜色素変性症では,網膜にある光受容細胞のうち,薄暗いところでものを見る際に働く細胞(桿体細胞)が徐々に壊れていきます。そのため薄暗いところではものが見えにくくなります。幼少期に最初の症状が現れることが多く,長い期間を経て周辺視野が徐々に見えなくなっていきます。病気が後期段階に至ると視野の中央部の狭い部分しか見えなくなりますが(トンネル視),周辺視野が部分的に残っていることもあります。
診断には,検眼鏡で網膜を観察したときの特徴的な変化が手がかりになります。光に対する網膜の反応を電気的に測定する網膜電位測定などの検査も診断に役立ちます。
この病気による網膜損傷の進行を遅らせる治療法はまだ確立されていません。ビタミンAの大量投与が有効とする説もありますが,その効果はまだはっきりしていません。
胎児の網膜を移植する実験的治療が視力改善に効果を上げた例が報告されています。
網膜色素変性症の患者さんが,我が国に何人ぐらいおられるかという正確な数字はだれもわかりません。
単純に,人口全体に占める数ですが,3000人にお一人ぐらいとしますと約4万人の患者さんがおられることになります。
網膜色素変性症は,退行性病変の中の変性に含まれる疾患であることはすでに述べました。従って,網膜に「変性」が起こるというのはそのとおりです。
次に,「進行する」ということですが,これも事実です。
では,進行の度合ですが,非常に個人差があり,各個人に対して確定的なことはいえません。
この世の中にタイムマシンでもあれば別ですが,どなたにもわかりません。
理化学研究所の高橋政代先生は,矯正視力が最も良い指標になるといわれます。
すなわち,10年前の矯正視力,そして5年前の矯正視力,更に現在の矯正視力がわかれば,進行の度合をおおよそ知ることができるそうです。
矯正視力というのは,水晶体などの曲率の異常(近視,遠視,乱視)を補正した上での視力であり,網膜の状態がそのまま反映されるという訳です。
もちろん,眼鏡を使用しておられない人の場合には,裸眼視力がその指標となることはいうまでもありません。
最後に,「やがて失明に至ります」とありますが,この表現もいたずらに患者さんを心配させる表現であり,決して適切ではないでしょう。
「失明に至るかどうか」のある程度の目安として,初発年齢があるように思います。
ここに,確定的なことを書く訳にはいきませんが一応の目安としては,初発年齢が遅ければ遅いほど視力は残るのではないかと思います。
すなわち,小学生のころに診断がついたケースのような場合には,30歳ごろから急激に視力の低下を見ることが多いようです。また,筆者は,「星」を見たことがあるかどうかも,その人の初発年齢を知る大切な指標のように思っています。
それに対して,40歳を過ぎて診断された方の場合には,かなり晩年まで視力は残るようです。
しかし,これは,あくまでも筆者の個人的な見解と意見であることを明記しておきます。
そうですね。「失明」といわれるとだれしも不安になると思います。
しかし,多くの患者さんを診ておられる先生方が口をそろえていわれますが,完全に失明する症例は極めて少なく,1〜2パーセントぐらいではないかということです。
なお,社会的な失明は活字を読みにくくなるとされる視力が0.1以下,世界保健機構(WHO)の基準では,0.05以下となっています。
また,以前は,人生の途中で失明することを「中途失明」と呼んでいましたが,最近では,「中途視覚障害」と呼ぶのが正しいそうです。
網膜色素変性症といっても,中心視力は長期間にわたり保たれ,視野だけが狭くなるタイプもありますし,網膜全体ほぼ同じ割合で変性し,視力と視野が同時に障害されるタイプもあります。
とにかく,「失明」と聞きますと,とてもショックですが,極めて永い期間を要して極めてゆっくりと進行する訳ですので,十分な心の準備もできるのではないでしょうか。
「障害の受容」ということについては,項を改めて書こうと思いますが,まずは,同じ疾患を持った患者さんたちの集まりである本会のような所に連絡され,そこで実施されているいろいろな会に参加してみられることではないでしょうか。
「網膜色素変性症」は遺伝することが多いというよりも,すべての疾患は遺伝によって発症しているのだという考え方が分子遺伝学などの進歩により正しいといわれるようになりました。
ここに,「すべての疾患」と書きましたが,では感染症や外傷はどうなのでしょうか?
感染症にしても,病原体が存在する時に,それに感染しないようにという免疫力(抵抗力)の強弱は遺伝するといって良いと思います。
また,外傷ですが,交通事故などでそれに遭遇しやすい家系があるともいわれています。すなわち,注意力の多少の遺伝ということになるでしょうか。
遺伝に関係するのは遺伝子です。何だか,遺伝や遺伝子といいますと赤ちゃんが生まれる時だけに関係していると思っておられる方もあるかも知れませんが,私たちが生まれてから死ぬまでこの遺伝子は全身の細胞すべての中で常に働いているのです。
ここに,遺伝子は常に働いていると書きましたが,細胞の中で何をしているかといいますと,細胞内でタンパク質が合成される時に働いているのです。すでにご存じかと思いますが,タンパク質はアミノ酸が組み合わさったものです。体内では20種類のアミノ酸が作られますが,どのアミノ酸を作るかをコードしているのです。
この後に,遺伝子や遺伝のことについて,極めて基礎的なところから書いてみたいと思います。
特に,遺伝について必要以上の心配をなさっておられる方にとっていささかなりとも参考になれば幸いです。
DNAの二重螺旋構造や塩基対,コドンなどについてもお話しした方が良いのかも知れませんが,ここではもう少し一般的な染色体というレベルから書いてみましょう。
私たちの細胞の中には核があり,その中にDNAという形でこれまでの生物としての永い永い歴史が収まっています。
このDNAが折り畳まれた形で存在しているのが染色体です。
ヒトの細胞では,染色体の数は23対,すなわち46本あります。
オセロゲームのコマが手元にありましたら,それを47枚準備してもらい,それで説明しますとわかりやすいと思います。
まず,47枚のうち3枚を取り出し,そのうち2枚はXを,残りの1枚はYを白い面に水性のサインペンなどで書いてください。
染色体は,男と女では異なります。ここに,それぞれの染色体を上記のオセロゲームのコマを使用して作ってみましょう。
まず,男性の染色体ですが,オセロゲームのコマの白い面を上に向けて,2列縦隊に44枚並べます。そして,その前のそれぞれの先頭に,先ほどのXとYと書かれたコマを置きます。
一方,女性の染色体ですが,オセロゲームのコマの白い面を上に向けて,2列縦隊に44枚並べます。そして,その前のそれぞれの先頭に,先ほどのXと書かれた2枚のコマを置きます。
遺伝情報は,この染色体の上に乗っています。
これで,染色体を中心とした説明を行いやすくなりました。もし,オセロゲームのコマがなければ,マッチの軸でも,トランプでも何でも結構です。
高校の生物の時間に習ったことが少しだけ思い出されました。もう少し説明していただけませんか。
そうですね。
先ほどの説明で,最も先頭に,男性では,XとYを,女性では,XとXのコマを置きました。これが,性染色体と呼ばれるものです。このうち,特に,X染色体の上に遺伝情報が乗って遺伝するタイプがあります。(X連鎖劣性遺伝型)
そして,縦に23枚並んでいるうち,2枚目から23枚目までを常染色体と呼びます。この上に遺伝情報が乗って遺伝するタイプがあり,これに優性遺伝と劣性遺伝とがあります。
常染色体優性遺伝,常染色体劣性遺伝と呼んでいます。
細胞は,分裂して増えて行くことはご存じのとおりです。
これから再生医療に使用されるであろうES細胞やiPS細胞も分裂することによってその数が増加しますし,ガン細胞などは,無秩序に,しかも無制限に分裂を繰り返すことにより,全身に悪影響を与えるようになるのです。
また,私たちの体の中でも生きている限り体細胞分裂という形で細胞分裂は行われています。例えば,酸素を運搬してくれる赤血球は,1日に2000億個も作られています。
一方,精子や卵子ができる時の細胞の分裂について考えてみましょう。
これらを生殖細胞といいますが,生殖細胞以外の体細胞分裂と異なり,減数分裂という方法で分裂が行われています。「減数」の「数」ですが,これは染色体の数のことです。
先ほど,ヒトの細胞には,46本の染色体があると書きましたが,精子や卵子では,これが半分になるのです。
何故,半分にならないといけないかといいますと,精子と卵子が合体することを受精といいますが,46本のままでは合体した時に染色体が92本になってしまうからです。
そこで,精子や卵子ができる時には,先ほど説明した2列縦隊のうち,右側の染色体がその精子や卵子に入るか,左側の列が精子や卵子に入るかが優性遺伝や劣性遺伝のことを考える時に非常に重要となるのです。すなわち,該当する疾患の遺伝子が染色体の左側にあるのか,それとも右側にあるのか,または両側にあるのかということです。
「遺伝することが多い病気です」と書いてあると,では,「遺伝しない網膜色素変性症もあるのですか?」と尋ねたくなりますが,確かに,盲膜色素変性症の患者さんのうち,その半分は「孤発例」だといわれます。
すなわち,ご両親も,おじいちゃんも,おばあちゃんも,また親戚にも 網膜色素変性症の患者さんはおられないし,網膜色素変性症になった方も,兄弟姉妹を見てもその人がただお一人だけということです。
では,それは何を意味しているのでしょうか。
みなさんは,「突然変異」という用語をお聞きになったことがあるでしょうか。「突然変異」は生物学の用語で,単に変異ともいいます。
DNAあるいはRNA上の塩基配列に物理的変化が生じることを遺伝子突然変異といい,染色体の数や構造に変化が生じることを染色体突然変異といいます。
突然変異の結果遺伝情報にも変化が表れます。このような変異の生じた細胞または個体を突然変異体(ミュータント)と呼び,変異を起こす物理的・化学的な要因を変異原といいます。
個体レベルでは発ガンや機能不全(ここでは,網膜色素変性症)などの原因となり,長い目で見ると進化の原動力ともなっています。
多細胞生物の場合は,変異が進化の原動力となるのは生殖細胞に起こり子孫に伝えられた場合に限られます。
少し話が専門的になってきましたが,孤発例があるのは,DNAを複製する際のコピーミスなどによる変異だということです。この突然変異では,次世代へその疾患が伝わることもありますし,伝わらないこともあります。
前項で,孤発例の場合,突然変異が原因のこともあると書きました。これは,いわゆる遺伝ではありませんが,遺伝子の異常や染色体の異常が疾病の発生にかかわっていることから遺伝病であることには変わりはありません。
さて,この遺伝子の異常ですが,網膜色素変性症についていいますと,これまでに多くの遺伝子異常が報告されています。
すなわち,Aさんの網膜色素変性症の遺伝子異常の染色体上の場所とBさんの染色体上の場所,そしてCさんの染色体上の場所,更にDさんのそれの場合と近親者の場合を除いて同じではないのです。
オセロゲームのコマで説明しますと,Aさんは,10番目に,Bさんは15番目にというような具合です。
これは,劣性遺伝のことを考える時に非常に重要な事項となってきますのでご記憶くだされば幸いです。
これまでの説明で染色体についてもご理解いただけたかと思いますので,優性遺伝について説明してみます。
優性遺伝といいますと,「優れた性質の遺伝」と誤解されやすいので,最近では,「顕性遺伝」といった方が良いのではという遺伝学者もいます。
優性遺伝によって発症するタイプの網膜色素変性症の場合,この遺伝子が子供に伝えられれば発症することになります。
オセロゲームのコマを2列縦隊に46個並べましたが,2列目から23列目までのどこかに遺伝子異常があったとしましょう。
精子や卵子ができる時には,先ほどの説明でもおわかりのように減数分裂をする訳ですので,父親または母親のいずれかにこの異常遺伝子があった場合には,2分の1(50%)の確率で精子または卵子の中の染色体上に異常遺伝子が存在しますので,その結果として遺伝することになります。
ただ,不幸中の幸いといいますか,優性遺伝で発症する網膜色素変性症の場合,初発年齢が遅く,症状は軽いという特兆があるようです。
この世の中には,多くの常染色体劣性遺伝病があります。常染色体劣性遺伝によって発症する疾患の遺伝子は,網膜色素変性症に限らず,すべての人々が6〜8個は持っているといわれます。
さて,網膜色素変性症の遺伝形式のうち,最も多いのが常染色体劣性遺伝形式による遺伝です。
オセロゲームのコマでいいますと,2列目から23列目までのどこかに異常遺伝子が乗っているタイプです。
しかし,この遺伝形式による遺伝が全体のどの程度を占めているかについては,確実なことはいえませんが,6〜7割りぐらいではないかという文献もあります。
父親の7列目にも,母親の7列目にも,たまたま網膜色素変性症の遺伝子が乗っていたような場合に,精子も卵子も減数分裂をする訳ですので,精子や卵子に異常遺伝子が伝わる確率はそれぞれ半分(50%)です。従って,実際に発症する可能性は,4分の1(25%)ということになります。
すなわち,劣性遺伝では,子供の染色体の同じ場所の両方にこの遺伝子の異常がないと発症しないのです。
民法では,3親等以内の婚姻を禁じていますが,血縁によっては,このようなケースが発生する可能性はあると思います。
ここで,注意していただきたいのは,遺伝子の異常が存在する染色体の場所が父親の方には,7列目,母親の方には13列目だったとしますと,2分の1の確率で異常な遺伝子を伝えることにはなりますが,発症はしません。
次に,父親または母親のいずれかが常染色体劣性遺伝形式の網膜色素変性症を発症しており,健常者と結婚した場合ですが,異常遺伝子は常に伝わるものの,健常者や異常遺伝子を持った人が同じ染色体の場所に異常遺伝子を持つ確率は極めて少ないといえるでしょうから,ゼロとはいえませんが,それほど心配なさる必要はないと思います。
余談になりますが,儒教の教えの中に「同姓不婚」というものがあります。これは,同じ名前の人どうしは結婚しない方が良いという教えですが,特に,中国はご存じのように名前の数が世界で最も少なく850種類ぐらいしかないため,近親婚を防ぐためにこのような教えが普及したものと思われます。
X連鎖劣性遺伝型の遺伝形式を取る疾患として広く知られているものは「赤緑色盲」です。
我が国の男性の約5%に見られます。
すなわち,性染色体の一つであるX染色体の上に乗って遺伝します。
男性の場合,このX染色体が一つしかありませんので,主に母親が,この遺伝子を持っている時に,2分の1の確率で遺伝し発症することになります。
一方,「赤緑色盲」の女性への発症率は極めて低く,あるデータによりますと500人に一人ぐらいだといわれています。これは,X染色体の両方に遺伝子がないと発症しないからです。
X連鎖劣性遺伝型の網膜色素変性症ということでいえば,男児の場合には,赤緑色盲と同じように母親が,本遺伝子を持っている時に,2分の1の確率で伝わり,発症することになります。
また,女児については,本遺伝形式の網膜色素変性症の患者さんが,この遺伝子を持つ女性と結婚した時に2分の1の確率で発症することになるぐらいでほとんど問題となりません。
なお,この遺伝形式を「伴性劣性遺伝」と呼ぶこともあります。
表現型は,遺伝子型と同時に環境の影響を受けます。
形態的形質が,環境の影響を受け,表現型を変えることを表現型の可塑性といいます。
このような状態にある集団で,本来の表現型を示す個体の割合を浸透度または浸透率と呼び,各個体における表現の程度を表現度と呼びます。
少し内容が難しいですが,これまでの説明で,4分の1の確率で子供に発症しますとか,2分の1の確率で子供に発症しますと書いてきましたが,これはあくまでも浸透率を100%と仮定しての話で,実際の場合には,浸透率というものが影響してきますので,発症率はより低くなりますという意味です。
網膜色素変性症に難聴を伴う疾患のうち,最も代表的なものにアッシャー症候群というものがあります。
これは,網膜色素変性症に感音性の難聴を伴うものです。
進行の仕方や重症度によって,タイプT,タイプU,そしてタイプVなどに分類されています。
ただ,網膜色素変性症に難聴を伴う疾患としては,アッシャー症候群の他にもいくつかのものが知られています。
網膜色素変性症の患者さんで,難聴が自覚された時には,できるだけ専門の耳鼻科医を受診しましょう。
網膜色素変性症の患者さんに限らず,一般の健常者でも暗い所では視力が低下するのはどなたでもご存じのとおりです。
従って,網膜色素変性症の患者さんが健常者の方に向かって,「暗い所が見にくいのです」といいますと,「みんな暗い所は見えないですよ」とお応えになる方もおられます。
では,網膜色素変性症では,何故暗い所が特に見にくくなるのでしょうか?
以前に,視細胞について説明したことがありますが,視細胞には,錐状体細胞と杆状体細胞とがあります。
前者は明所視に関係し,網膜の中心部に多く,中心部から離れれば離れるほど急激にその数は少なくなります。また後者が暗所視に関係します。
この暗所視に関係のある杆状体細胞が遺伝子の異常により段々壊れて行くのです。
また,この杆状体最胞は,網膜の中央部である中心窩にはほとんどなく,網膜の周辺部に行けば行くほど,その数が多くなりますので,同時に視野の狭窄が起こります。
なお,暗い所が見えないという症状を「夜盲症」といいますが,夜盲症を訴える疾患としては,本症に限らず,例えば,小口病(人名),進行性先天性夜盲症,非進行性先天性夜盲症,眼底白点症のようなものもあります。
網膜色素変性症の初発年齢について調査したデータがありますが,その結果は,どのような母集団を対象として調査したかによって報告者ごとに大きく異なります。
本項の標題のように「幼少期に最初の症状が現れることが多く」とあるのは,やはり網膜色素変性症の遺伝形式が割合初発年齢が低いとされる常染色体劣性遺伝形式が多いからだと思われます。
幼少期からの発症にしろ,人生中途での発症にしろ,生活していく上で多くの不自由が生じるであろうことは変わりありませんが,本人も,そして周囲の人々も本症に関する知識を正しく持ち,対応することこそがベストではないかと思われます。
網膜にある視細胞について説明しましたが,網膜の中で最も視力があり,私たちが何かの物体を注視する際に用いているのが,黄斑部の中央にある中心窩です。ここには,錐状体細胞という細胞が密集しています。
一方,暗い所で物を見ることのできる視細胞である杆状体細胞は,網膜の周辺に行けば行くほど,その数は多くなります。
網膜色素変性症では,遺伝子の異常により,この杆状体細胞が選択的に障害を受けます。
従って,杆状体細胞の数が多い網膜の周辺部から視力が低下してきます。その結果として,夜盲症や視野の狭窄が発症する訳です。
また,視野の狭窄は,輪状暗点という形で,網膜の中心部から少し外側の部に出現し,そこから外側と内側へ視野障害が拡がって行く例もあります。
以上の説明ですと,錐状体細胞は障害を受けないように思われがちですが,この錐状体細胞は,杆状体細胞からの栄養を受けながら活動していますので,杆状体細胞が障害を受けますと,2次的に錐状体細胞も障害を受けるのです。
健常者の場合,上下,内外,そして斜の4方向を合わせた視野の8方向の合計が500度以上です。
この値が400度を下回るようだと車の運転は難しくなって行くといわれます。
しかし,左右の目で互いに補間し合うなどのため,視野の狭窄に気づかないことも多々あるようで,相当重症になるまで車の運転をなさっておられる方もあるかも知れません。
また,網膜色素変性症のタイプによっては,視野が10度で,視力は0.8というような方もおられます。
では,この視野が10度という広さを簡単に知る方法はないでしょうか。
まず,ご自分のどちらかの手で握り拳を作り前方に伸ばします。そして,この握り拳の幅がこの方が見えている視野10度です。
時々は,片眼で見る習慣をつけ,視野の狭窄がないか注意するようにしましょう。
網膜色素変性症では,遺伝子の異常により,網膜上にある杆状体細胞が選択的に障害を受けることはこれまでにも説明してきました。
しかし,網膜のうち,最も視力のある中心窩を中心に存在する錐状体細胞も杆状体最胞から栄養される形で活動していますので,早晩,杆状体細胞の障害に比例する形で障害が生じてきます。
また,視野の異常でも,視野の欠損が,一様ではなく,網膜上にあちらこちらと散らばっているような例もあります。
網膜色素変性症の患者さんは,各個人によって視力や視野の状態,進行の状態などが極めて多彩です。
これは何の違いによるかといいますと,多く報告されている遺伝子異常のうち,どの遺伝子の異常か,すなわち,どの遺伝子の異常によって本症が発症したかの違いなのです。
視野が極めて狭くなりますと,運動会のリレーに使用するバトンを目の前に置いて風景を見ているような状態となります。
また,網膜色素変性症の類縁疾患として,錐体ジストロフィーというものがありますが,これだと選択的に錐状体細胞の障害が起こってきます。
従って,網膜の中心部が見にくく,十分な視力が得られないとか,小さな文字が見えないとか,色覚に問題があるというようなケースが多いです。
眼科へ行きますと,まずは視力検査,その後に問診ということになるでしょうか。
患者さんが夜盲を訴えたり,視力が弱かったり,視野の検査をしてみると視野狭窄があったりしますと,では眼底の検査をしましょうということになるでしょう。
硫酸アトロピンなどの散瞳剤を入れ,しばらくして暗室での眼底の診察になります。
網膜色素変性症では,特徴的な骨小体様色素沈着,網膜血管狭窄を認めるのが一般的な症例ですが,中には,無色素性網膜色素変性症も存在し,一概に骨小体様色素沈着があるとは限りません。
私たちの体はおよそ60兆個の細胞からできていますが,この細胞が刺激を受けて活動しますと,電気を発生します。
この電気を生体電気といいますが,これを特殊なアンプを用いて増幅し記録することができます。
心臓の活動の様子を記録したのが心電図(ECG),脳細胞の活動の様子を記録したのが脳波(EEG),筋肉の活動の様子を記録したのが筋電図(EMG)などがよく知られています。
ここでは,網膜の神経細胞の光刺激に対する活動の様子を記録した網膜電図(ERG)について紹介します。
患者さんはベッドの上に上を向いて休みます。
その後,コンタクト型の電極を角膜の上に配置し,導線は記録装置につながっています。
眼前に置かれた光刺激装置を使用し,光刺激を行います。
この光刺激に対応した電気活動を記録します。
特に重要なパラメーターとしては,杆状体細胞からの電気活動です。
この網膜電図検査は,かなり普及しており,また網膜色素変性症の確定診断には不可欠です。
網膜色素変性症において,「網膜損傷の進行を遅らせる治療法はまだ確立されていません。」というのは,残念ながら事実です。
しかし,それらについて現在,我が国の多くの研究者たちによって極めて熱心かつ懸命に研究が行われています。
例えば,錐状体細胞が壊れて行くのを防ぐための網膜色素上皮や杆状体細胞から出る栄養因子の同定とその合成,劣性遺伝型の本症に対する遺伝子治療などです。
これらにつきましては,また項を改めて記して行きたいと思います。
ビタミンAが視機能に関連していることは古くから知られていましたが,網膜色素変性症に対してビタミンAの大量投与が行われ,進行を予防できたという報告もあります。
ただ,ビタミンのうち,A,D,E,Kなどのビタミンは,脂溶性のビタミンであり,体内の脂肪に溶解して体内に永く残存することから過剰症が問題となっています。
更に,若い女性でこれから妊娠することのある人の場合,催奇形性も心配されていますので,十分な注意が必要です。
今から丁度2年ぐらい前でしたか,NHKでアメリカでの臨床研究の結果が放映されていました。
網膜の移植手術後,すぐにではなく180日ぐらいを経過してから視力が出てきました。
それは,この中でも説明しましたシナプスの接続が完成して行くのに必要な時の流れです。
しかし,倫理的な問題やドナーの数の問題などがあり,実用的なレベルでの臨床応用は難しいのではという印象を受けました。
これからは,ES細胞やiPS細胞の応用が期待されるところです。
なお,ここで行われた治療は,網膜の移植であり,ES細胞やiPS細胞を用いる方法は網膜の再生治療ということになります。
網膜色素変性症について,「万有製薬株式会社のメルクマニュアル」を引用しつつ,そこに出て来た事柄から発展させながら説明をしてきました。
これまでに疑問に思ってきたことが理解できたといううれしいお知らせもいただいています。
この後につきましては,ここまでのところで説明していない内容について述べてみたいと思います。