星を見る人にとっての星のように

 

 ウォーーと会場中が鳴いている。
 期待と興奮に満ちた、会場を埋め尽くす人々の声だ。
 今夜は夢の競演、オールスター戦なんだ。
 こういうお遊び的ゲームは、もっぱら緊張感の薄い、ダラけたものになりやすいが、近年、その傾向は変わりつつあった。この試合に出場する選手の多くがガキの頃から奇跡の世代と呼ばれていて、どんなゲームだろうと真剣にやりあわなければ気がすまないという連中ばかりだからだ。
 そうは言っても、スターにもピンからキリまでいて、本当に文句ないスターなんて、そうそういるもんじゃない。
 だが、こいつは間違いなく誰の目から見てもスターだと言える男がいる。
 日向小次郎だ。
 プロ生活5年目になるが、リーグ得点王を取ること2回、プロ入りしてからの国際試合ではすべて日本代表に選ばれ、出た試合のすべてに得点するという活躍ぶりだ。記者連中への受け答えも堂にいっていて、ポッと出の記者だったら、まず日向からまともなインタビューを引き出す事はできないだろう。別に相手を威嚇しているわけでも、煙に巻くようなことを言っているわけでも、敵意を見せているわけでもないのに。
 実際、日向という男からは、そんじょそこらの連中とは段違いのオーラが発せられている。この男が1人いるだけで、その場の雰囲気がガラリと変わるのだ。
 スターとはこういう男のことを言うんだろう。
 が、そんな日向も昔はこうじゃなかった。
 もちろん選手としてはジュニアユースの頃からずば抜けていたが、人にスターとして見られること、扱われることにかなりの抵抗を感じていた。だから、雑誌の取材ひとつにもかなり神経質になっていたりした。
 特にそれが顕著に現れていたのは高3の時だ。
 その時の事を俺はよく覚えている。
 俺、反町一樹も、あの時期はいろいろ抱えていたから、より一層、日向の荒れぶりは心に残っているのだ。

 

 俺と日向小次郎は、高3になって、初めて寮で同室になった。
 それまでの5年間、同じサッカー部でクラスも一緒になることが多かったから結構親しい間柄だったが、この時の俺には、この部屋割りは嫌味でしかなかった。
 が、日向もすでに荒れの兆候が出ていたから、俺が嫌がっているということに気付く余裕はなかったようだ。
 日向が何をそんなに荒れていたのかというと、バカみたいに増えつつあるミーハーファンの山と、くだらない事を書き立てるマスコミと、掌を返したように優しくなった親戚連中のせいだった。
 もともと、中学時代からサッカー選手として注目されていた日向だが、その活躍ぶりは一部のマニアなサッカーファンと専門家くらいしか知らなかった。しかし高校1、2年の冬の選手権を完全な試合展開で連覇しちまって、世間は急激に日向に注目し始めた。
 そりゃあ、インターハイも合わせて4連覇中で、誰がどう見てもその立役者で全試合に得点しまくった日向に注目しない方がどうかしているけどな。本当に、年末年始のお茶の間でのTV観戦の威力は凄い。
 そうやって騒がれると、自然に日向の高校卒業後の進路の話までもが取り沙汰される。契約金はいくらだの、どのチームが狙ってるだの。そのせいだろう、今まで日向の家族に冷たかった遠縁連中が、競って現れるようになっちまったらしい。
 確かに、日向じゃなくたって嫌になるよな。
 それでも、今まで日向がキレずに来れたのは、彼の相棒の若島津健がいたからだろう。
 こいつは日向とサッカーをするためにわざわざ他県からこの学園に日向を追っかけてきた奴で、日向が唯一、自分のキーパーだと認めている男だ。実際、若島津のセービング力は、というかサッカーセンスは並じゃなく、日向と対等にやりあえる数少ない人間だ。
 で、今回の部屋割りで、若島津は皆が狙っていた1人部屋をゲットし、俺達の部屋と遠く離れた。クラス割りも、日向とは違うクラスで、同じ授業もないらしい。
 二人を知らない連中は、それがどうした?って思うだろうな。
 でも日向にとって、若島津だけがグチや文句を遠慮なく言える相手で、相手もそれをうまく受け流し、日向の精神状態を安定させることに長けていた。
 しかし3年に上がってから、二人の接点は減った。もちろん同じサッカー部の主将と副主将だから顔はしょっちゅう合わせるが、二人でゆっくり話せる時間は確実に減った。日向も、そんなことでイライラがたまっていくなんて思ってもいなかったのだろう。しかしハタから見ていたら、明らかに日向の精神状態は良くない方向に向かっていた。今までなら気にしなかったような、口さがない連中の戯言に目くじらを立て、何度ケンカになりそうになったことか。
 そんな日向を、俺は密かにザマーミロと思っていた。
 こんなことで悩めるなんて幸せなことじゃないか、どうせなんだかんだ言ったって、おまえは高校を卒業したらプロ選手になって稼ぐんだろう? 好きなことをやって金を得るんだ、おまえは幸せだよ。その幸せに気付かず、周りの連中のことで神経をすり減らすなんて、大バカ野郎だ。
 違うか?
 だけど、自分でもマズイと思ったのだろう、日向は若島津と積極的に一緒にいる時間を作り出した。そう、若島津の1人部屋に入り浸るようになったんだ。
 一緒に課題をしたり、部の練習メニューを組んだり、ごく普通の他愛無い話をするだけのようだったが、それだけでも少しは気持ちが楽になったんだろう、その間はサッカーに専念しているように見えた。
 でも、それも2週間程で終わった。
 ある日、沈痛な面持ちで部屋に帰ってきたと思ったら、日向は消灯まで1時間もあるのに、ベッドに入っちまった。
 若島津とケンカでもしたのかと思ったが、奴さんはいつもと同じで、日向にも昨日までと同じ笑顔を向けている。日向はそれを苦々しい面持ちで受けていた。
 俺はその理由がなんとなくわかった気がしたが、黙って見ていた。
 わざわざ俺が口を出すことじゃないし、ますますザマーミロ感が煽られただけだった。
 そして数日後、取材記者と取っ組み合い寸前のケンカを起こした日向は、その日の夜中に寮を脱け出して、朝方に帰るということをやらかした。もちろん誰にも気付かれずに。俺はたまたま目が覚めていたから気付いたんだが、何も言わなかった。
 それに味を占めたのか、それから日向は週に1、2度は寮から脱け出すようになった。

 

 俺はその日、毛布に包まって窓のそばに陣取り、星を見ていた。
 時間は午前3時。とりあえずは寝ていたのだが、どうにも眠れなくて、つい1時間前から窓を開けてこうしている。
 星を見ているからといって、天文好きだと思わないで欲しい。はっきり言って、星座も良く探せないんだから。
 でも星を見るのは好きだ。
 昔、親父に連れられて、大きな天体望遠鏡のある観測所に行ったことがあった。多分、7、8歳のガキの頃だっただろう。その望遠鏡で見せてもらった月の表面、名前も忘れてしまった遠くの星星・・・俺はそれをとてもワクワクした気持ちで見ていたことをよく覚えている。
 そして、俺以上に嬉しそうに空を見上げている親父の顔も。
 あの小さな星にも俺と同じような連中がいて、俺達をこうして見ているのかな?なんてことも考えたもんだ。
 普段は現実主義というか、夢のある話など一切した事がない親父も、この時ばかりはどういう訳か、子供の俺のそんなバカな考えを笑い飛ばすようなことはしなかった。それどころか、いつもは話してくれないいろんな話を、そりゃあ生き生きとした顔で話してくれた。
 それがとても嬉しくて、親父の手をぎゅっと握り返したっけ。
 星を見ていると、あの時の親父の手のぬくもりが蘇ってくるような気がする。
『・・・一樹、あなたは長男なのよ。いつまでもサッカー、サッカーって遊んでばかりいないで、進路の事も心配してちょうだい。このまま東邦大に進んでも、うちの会社を継ぐには恥ずかしい学歴だってことは、あなたもわかっているでしょ? 東邦大も悪いところじゃないみたいだけど、一流大出身の社員の上に立とうっていう人間には相応しくないわ。だから・・・』
 あの時の親父なら、お袋の言葉になんて答えてくれるんだろう・・・
 俺は目を閉じた。
『・・・お父さんの二の舞いになるのだけは、やめてちょうだい・・・・・・だから、お父さんの出身校の東邦に行かせるのは反対だったのよ。一樹、あなたもお父さんのようになりたくないでしょ?』
 ダメだ。目を閉じると、お袋の言葉が蘇ってきちまう。
 親父・・・あんたを恨むよ。どうして最後までちゃんと戦ってくれなかったんだ。どうして途中でおっぽり出して逃げ出しちまったんだ。俺にどうしろっていうんだよ?
 ガサガサッ
 不意に音がして、窓のすぐそばに立つ木の上に人影が見えた。
「なっ! なんで起きてんだ」
 窓が開いていて不審に思ったんだろう、日向はいつものようには飛びこまず、部屋の中をうかがってきた。
「眠れなかったんだ」
「変な奴だな」
 日向はそう言いながら、部屋の中に入ってきた。かすかだが、香水の匂いがする。
「女といたのか?」
「え?」
 日向はビクッとした顔で振り返った。図星だったらしい。暗い部屋の中だが、日向が嫌そうな顔をしたのがはっきりわかった。
「だったら、なんだってんだ」
「別に。いや、日向もやるなと思って」
「ふん、うるせえ」
 日向はそう言うと、さっさとパジャマに着替えてベッドに入ってしまった。
「おい、寝る時は窓を閉めろよ」
「もちろん」
 俺はそう言いながら窓とカーテンを閉めて、自分もベッドに入った。
 目を閉じたが、不思議と、もうお袋の声は聞こえてこなかった。


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