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ロベルトクレメンテ・・・首位打者4回、ゴールデングラブ賞12回の名選手
1972年のシーズン最終試合で3000本安打を達成、そのオフにニカラグアで
発生した大地震を救援する物資を私費で購入し、自ら飛行機で運んで現地に行こうとしたが
その飛行機が海上で墜落してそのまま亡くなった。
本来ならばどんな名選手でも引退後5年が過ぎなければMLBの殿堂には入れないが
彼だけは亡くなった翌年に殿堂入り。
野球選手である前に立派な人間であることが最大限に考慮されたのだと思う。


まだ北海道に冬の寒さが残る3月、新庄はこっそりと、重病に伏した少女を見舞った。
大の新庄ファンだったその子に「君さ、すごくかわいいよ。
きっと大人になったらモデルになれる。絶対に治るから」と、新庄らしい言葉で励ました。
パソコンのカバーにサインをして「今日は君のためにホームランを打つよ」と予告して、
本当にその日の試合でホームランを打ってしまった。
その少女は、あこがれのスターから勇気をもらったと言ってはしゃいだ。
ただ、いたずらな病魔が進むのは早かった。シーズンが開幕してから、その少女は天国に逝った。
最後に「1%でも生きることのできる可能性があるなら」
と米国の病院に移ることを決意したが、異国でその命を絶たれた。
ショックを受けた新庄はひどく落ち込んだ。「応援してくれてるファンを裏切りたくないから」。
笑顔のすてきだった少女へ、そしてプロ野球ファンへ――。
パ・リーグを盛り上げたいと人一倍思う男が、野球の素晴らしさを自らのパフォーマンスで体言した。


ハンク・アーロンと言えば知らぬ人はいないでしょう。
ご存知755本塁打の黒人選手。
ベーブ・ルースの714号を追い抜きそうになり、実際に追い抜いた時は全米中から脅迫、非難、侮辱の
手紙が何万通も届けられて本人も相当気分を害して落ち込み、投げ出したりしたくなったそうです。
しかし、これら脅迫状の事件が報道されると逆に励ましの手紙が殺到してアーロンを励ましたそうです。
彼の自伝によると、その励ましの手紙の中には次のような一通が紹介されていました。

『親愛なるアーロン様』
あなたがベーブルースの記録を破った時、私たち家族は病院でテレビ観戦をしていました。
実は、その直後に私たちの孫がこの世を去ったのです。
八歳の孫は「ハンクは今晩打つよ」といい続けていました。
あなたが本当に715号を打った時、注射針を右腕に刺していた孫は、左手を高く上げて、
テレビに向かって叫びました。
「やったあ!お父さん、やったぞ!彼はきっとやると思ってたんだ!」
孫は白血病と癌で寝た切りだったのです。あなたが私たちの可愛い孫に、
どんなに大きな喜びを与えて下さったのかをお伝えしたくて、この手紙を書きました。
みんながあなたを愛しています。孫が飛び上がって叫んだのをお見せしたかった。
病院の三階にいた全員がこのことを知っています。孫はあなたを我が事のように誇りにしていました。
ホームラン新記録を見るチャンスを孫に与えて下さったことに感謝します。


ロッテの第一期監督時代のこと。
現役時代から親しくしてる知人の頼みである病院に慰問へ訪れた金田。
「病院はワシ苦手やねん。辛気くさいやろ?」とイマイチ乗り気ではなかった。
病院についてある小児病棟に通された。
そこには12人ほどの子供達がいた。
みんな憧れのプロ野球の監督が来るということで昨日から楽しみにしてたそうで、
みんな笑顔で金やんのこと出迎えた。
それを見て金やん「なんや…病気いうてもたいしたことないんやな」と気軽に考えてた。
慰問が終って病院を去り際に小児病棟担当の看護婦から挨拶された時、
看護婦は金やんにこう言った。
「みんな白血病や小児ガンという不治の病を抱えてるんです…。
でもみんな希望を持って明るく生きてます。
本日は金田さんおこし願えてみんな感激してますよ」と……。
それを聞いた金田はそのまま床にへたり込んで人目も憚らず号泣したそうだ。
「ワシはこの年になって初めて命の尊さを教えてもらった…」

それ以後金田は不治の病で苦しむ子供達のためのボランティア活動に邁進するようになり、
それは名球会の活動の一環としても行われている。


ナショナル・リーグができてまだ10年位しか経っておらず、
プロ野球だけで生計を立てるのは難しい時代の話。
フィラデルフィア・フィリーズのファーストを守っていたシド・ファーラーは
可愛い娘をたびたび球場に連れて来ていた。
娘は綺麗な声をしていたため、たちまちチームのマスコットキャラとなった。
ある日試合が終わった後、娘が泣きながら1人で立っていた。
シドのチームメイトが「どうしたの?」と聞くと「パパがいないの」と答えた。
チームメイトがシドを探すとシドは外野のスタンドで空き缶をずっと拾っていた。
「娘が綺麗な声なので音楽学校に進学させてやりたいんだが、金が無くてね。こうして毎日空き缶を拾っているんだ。」
当時は野球だけで生計を立てるのは難しかった。
そこでシドは空き缶を拾うバイトで必死に金を稼いでいたのだ。
これを見たチームメイトはシドの心意気に感動し、次の日からチーム全員で空き缶拾いをはじめたという。
娘は音楽学校に無事に進学でき、数年後有名なオペラ歌手、ジェラルディン・ファーラーとして故郷に戻ってきた。
ちなみにジェラルディンはロマノフ王朝最後の皇帝ニコライの想われ人だったという説もある。


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