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日本バプテスト枕崎キリスト教会


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枕崎キリスト教会の歩み


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日本バプテスト。枕崎キリスト教会

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名前
  牧師 馬渡 健太郎

生年月日(年齢)
  1973年1月19日(43歳)

血液型
  O 型

趣味
  読書、演劇、観劇

紹介文
  私の信仰の歩みについて、一言証しさせていただきます。
私は仏教の家庭に生まれ、小学校に上がるまでは、教会とは全く無縁の生活を送っておりました。
 父は高校の地学の教師をしておりまして、穏やかな性格であり、生き物や自然をこよなく愛しておりました。
 私が保育園や幼稚園に通っていた頃、家には金魚や兎、ニワトリなどがいて、父がそれらの世話をしていたのをよく覚えています。
 なぜか私が世話をしたという記憶はないのですが。母は専業主婦ではなく、自宅の一室を使ってピアノを教えておりました。母は音楽家だけに情熱的な、そしてねばり強い性格を持っており、仕事をしながら私と弟をしっかりと守り導いてくれました。
 母が家にいながら仕事をしているということは、いつも側にいるという訳ではなくても、何かあったらすぐに母の所にいけるということで、私と弟に安心感を与えていました。
 さきほど私の家は仏教だったと申しましたが、熱心に信仰していた訳ではありません。私の祖父母が父方も母方も仏教の信徒でしたので、父も母も、特に信仰してはいなくても、それに合わせていたようです。そして私と弟も、その習慣に従っておりました。
 それが、神様の不思議なお計らいによって、教会へと導かれたのです。
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 私の母の知り合いに有馬静枝さんという方がおられまして、この方は聖書友の会という小さな単立教会の鹿児島教会で、教会学校の教師をしておられました。
その方が1981年のクリスマス会に私と弟とを誘って下さり、それがきっかけで、82年の一月から教会学校に行くようになったのです。それは私が小学3年の時のことでした。
実を言いますと、母は子供の頃に、鴨池にある鹿児島バプテスト教会に出席していたことがありまして、母は美しい音楽に合わせて讃美歌を歌うのが好きだったからだと申しておりますが、そのような事情から母は教会というものに好感を抱いておりましたので、その方を信頼して、教会学校に通わせてくれたのです。
教会学校では有馬静枝先生が、神様はいつも私達一人一人を守り導いて下さっていることを、ご自分の体験を通して、語って下さいました。そのお話しは、私の心の中に、「神様はネ、どんな人でも愛して下さるんですよ。」という福音のメッセ−ジの形で、刻み込まれました。そしてそのメッセ−ジが、私にとって信仰の種となりました。
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 中学生になった私は同級生からの暴力といやがらせに見舞われ、精神的にひどいダメ−ジを受けました。それは私にとって「お前なんか生きている価値はない。死んでしまえ。」という宣告にも等しいもので、私はずいぶんそのことで苦しみました。
 毎日毎日ビクビクしながら校内を歩いておりました。さらに、そこに自己卑下の苦しみが加わりました。私はいじめの真っ只中にあった時、教会学校で習った「悪人に手向かうな。もし誰かがあなたの右の頬を打つなら、他の頬をも向けてやりなさい。」という言葉を実行しようと努めておりました。
 その頃の私の気持ちは、正に「彼らを赦してあげよう。彼らは何をしているのか分からずにいるのだから。」というような、自分を迫害に耐え抜く義人と見なすものでした。
 しかし、その高慢な思いが打ち砕かれる時がきました。私がそのころ通っていた聖書友の会教会には、創始者である相見三郎という人の書いた聖書購解書がありまして、それを読んでいる時に、「赦してあげよう」などという気持ちは愛でも何でもなく、ただ単に、暴力をふるう人達よりも自分を神様に近い位置に置いて、その人達を見下しているにすぎないということを示されたのです。
 このことで、私はド−ッと落ち込みました。これまで自分を支えていた誇りが全くなくなって、「どうしてお前はそう愚かなのだ」と自分自身を責めることしかできなくなりました。自分が自分であるということに、確信が持てないのです。
 「私は私なりに自己主張しつつ生きていていい」という実感が持てなくなりました。私がいた聖書友の会・鹿児島教会は無牧であり、その上一番信頼していた有馬先生は遠くにおられ、私は中学・高校時代、絶望に近い状態にありました。
 しかし、完全に絶望するには至りませんでした。それはなぜかというと、「こんな愚かな私でも、神様は愛して下さっている。そしてクリスチャンとして神に仕えることを受け入れて下さる」という確信が、私を支えてくれていたからです。
 この頃、私を支えてくれた御言葉に、次のようなものがあります。「あなたがたが私を選んだのではない。私があなたがたを選んだ」(ヨハネ15:16)。
 このような御言葉によって私は絶望からかろうじて救われ、クリスチャンとして歩み続けて参りました。そしてこの体験を通して私は、神の言葉の人を生かすという働きを知りました。
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 「私は決して一人ではなかった。聖書の御言葉を通して、神様はいつも私と共にいて下さり、私を絶望から守って下さった。
 私はこのような恵みを与えられたのだから、それに対する感謝の応答として、神の言葉を宣べ伝える奉仕の為に生きていきたい」。高校3年の時に、私はこのように考えるようになりました。これが、私の伝道者・牧会者としての志でした。
 そして1991年に、西南学院大学神学部の人文学コ−スに入りました。なぜ人文学コ−スかと言いますと、他教派の人間は神学コ−スに入れないと誤解していたからです。
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 神学生になった私は、思想的にはカトリック作家・遠藤周作氏の影響を強く受けたように思います。遠藤氏は主イエス・キリストのことを「人生の同伴者」と呼び、私達が最も苦しい時、最も惨めな時にも、いや、そのような時にこそいつも一緒にいて下さって、苦しみや惨めさを分かち合って下さると、著書の中で述べておられます。
 この他さまざまな人々の影響を受けながら、私は聖書の学びを進めていき、1994年10月6日、当時の出席教会であった聖書友の会・福岡教会で、相見一朗牧師からバプテスマを受けました。
 信仰を持ってから、制度的な事情からなかなか受けられなかったのが、やっと念願かなったのです。
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 その後、バプテストの信仰に導かれ、1995年卒業後、引き続き西南学院大学神学部神学専攻科に進みました。鳥飼バプテスト教会で一年間の奉仕神学生としての生活を与えられ、原田摂生牧師のご指導を受けることができました。
 1996年4月からは、松村牧師、シャフナ−宣教師のおられる早良キリスト伝道所で、共に礼拝を守ることを許されました。昨年秋から麦野牧師に鹿児島での宣教の働き場と修練の機会をお取り上げ頂けないかとお願いして、今日に至りました。
 私は、自分がこれまで生きてこられたのは、主イエス・キリストが私の心の苦しみを共に担って下さったからだと信じております。そして、そのようにして癒していただいたが故に、私はイエス・キリストの伝道者として、神と人とに仕えることを切に祈り求めております。
   1997年3月 西南学院神学部卒業
   1997年4月より伊集院教会伝道師
2000年4月より伊集院教会枕崎伝道所 牧師

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日本バプテスト枕崎キリスト教会



    当教会は、聖書の教えを土台とするプロテスタント教会です。下記集会に関心をお持ちの方は、どなたでもお越し下さい。

    ※悩み事相談、情報提供、結婚式等、随時受け付けています。どうぞお気軽にお問い合わせ下さい。

    (正式名称:日本バプテスト伊集院キリスト教会枕崎伝道所)
    鹿児島県枕崎市住吉町123番地
    ?0993-72-1850
    Eメール makurazakich@po4.synapse.ne.jp

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定例の集会



    ☆・主日礼拝...毎週日曜日午前10時半〜正午
                 午後3時半〜5時
    ☆・教会学校...毎週日曜午前9時時半〜10時半
    ☆・聖書の学びと祈り会...毎週木曜午後7時〜8時
    毎週木曜午前10時半〜11時半
    ☆・加世田集会所 金曜日 午後2時〜3時半
    ☆☆☆特別集会の御案内は(枕崎伝道所集いの掲示板に提示しています)是非ご覧ください☆☆☆

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その他の活動



    ☆☆☆特別活動の御案内は(枕崎伝道所集いの掲示板に提示しています)是非ご覧ください☆☆☆
    ☆Emailにおいてもご案内申し上げます。

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今週のメッセージ



    旧約聖書・ダニエル書1〜3章の舞台となっているのは、イエス・キリストが生まれる六百年ほど前、イスラエル民族の国が「バビロニヤ」という国に占領され、国民の大半が「バビロニヤ」国(首都:バビロン)に連れ去られた時代です。その時、「ダニエル」と他三人の少年達が、バビロニヤの王に仕えるよう命じられ、四人は王に高く評価されて、高い地位について働くことになりました。
    しかし、「金の像を拝まなければ、燃え盛る炉に投げ込む。」という命令が出され、ダニエルと共にバビロン王に仕えていた「シャドラク」、「メシャク」、「アベド・ネゴ」の三人は金の像を拝むことを断って、燃え盛る炉に投げ込まれます。しかし、神の助けによって三人は炎から守られ、それを見たバビロン王は、『まことに、人間をこのように救うことのできる神は他にない。』(ダニエル書3:29)と、考えを改めるのです
    三人は、金の像を拝まなければ燃え盛る炉に投げ込むと言われた時、『私達のお仕えする神は、その燃え盛る炉や王様の手から私達を救うことができますし、必ず救って下さいます。そうでなくとも、ご承知下さい。私達は王様の神々に仕えることも、お建てになった金の像を拝むことも、決して致しません』(ダニエル書3:17,18)と答えました。この言葉は、人間の考えから出たものではなく、神様がお与えになったものです。神様から良い決断を与えられ、それを行っていくことが出来ますように、祈りましょう。

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枕崎キリスト教会の歩み



    枕崎キリスト教会牧師 馬渡 健太郎
    枕崎キリスト教会(正式名称:日本バプテスト伊集院キリスト教会枕崎伝道所)の歩みは、1947年(昭和22年)より麦野七右衛門牧師によって行われた南薩伝道により、始まりました。七右衛門牧師は、日曜日には伊集院教会で礼拝を行い、ウィークデーには、南薩鉄道という列車に乗って、加世田、川辺、金峰等の地域で家庭集会を行ったのです。やがて1951年(昭和26年)3月27日、枕崎での最初の信仰告白・バプテスマ式が執り行われることとなり、9名の方が受浸されました。そして、1956年(昭和31年)11月13日、教会堂が献堂されたのです。以来、五十年近くに亘って、この会堂で礼拝や諸集会が行われてきました。1973年(昭和48年)に麦野賦(むぎの・みつぎ)牧師が赴任して以後、日曜午後3時半からの礼拝が行われてきましたが、2005年(平成17年)4月より、午前10時半からの礼拝も行われるようになっています。
    歴代牧師は、以下の通りです。麦野七右衛門師(1947〜1959年)、今村師(1960〜1961年)、中村佐一郎師(1962〜1964年)吉岡繁師(1965〜1967年)、原田義人師(1968〜1971年)、麦野賦師(1973〜現在)、馬渡健太郎師(1997-伝道師、2000-牧師〜現在)。

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祈りの柱



    祈 り の 柱
    @ 霊とまことの礼拝(まず130人出席で主のみ名をたたえよう)
    A 受浸者の賜与(10人の魂が救いを告白して受浸できるよう)
    B 教会学校・地区集会の充実(祈りと交わりのグループづくり)
    C 枕崎伝道所の進展(教会形成目ざして一歩前進)      
    D 教育センター,幼稚園の働きによる地域への福音浸透
    *新教会堂の献堂を感謝して教会形成の充実発展(伝道開始70周年事業)

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