内之浦町立大浦小中学校にて
私的「負けるな」について
時は1994(平成6)年10月(うわ〜っ、もう10年以上も昔ですか・・)、私はJR志布志駅を降り立ち、佐多岬を目指して歩いておりました。
背中には、テント、寝袋等キャンプ道具一式、肩には愛機コンタックスRTSV、そして片手には超重量級三脚・スリック・ザプロフェッショ
ナルを持っておりました(重量5キロ以上あったのでは。、今なら絶対持ちません)。当時「歩いて、撮って、書ける」写真作家をホンキで
目指していた私、最初の方こそ意気軒昂でしたが、やがて十歩進んでは一息入れる状態となっていきました。 .
閉校(廃校)となった内之浦町立船間小学校で開かれていた、地区運動会
それでも、ロケット基地のある内之浦町の美濃峠を越え、かろうじて佐多岬を目指して進んでおりました。内之浦町辺塚から大浦を通り、
佐多町辺塚へ抜ける県道内之浦佐多線へ。ところが、この道路が、恐らく車で通っても悪路であろう、ヘアピンカーブが連続する道。十歩
進んではが、五歩となり、やがて三歩となり・・・・・。 .
ようやくたどり着いて、荷物を降ろしたのが、大浦小中学校の正面玄関でした。その時、ふと見上げた先に掲げられていたのが、「負けるな」
の額でした。その瞬間の衝撃を、他の人に話してみたり、このように文章にもしてみるのですが、なかなかどうして表すことができま
せん・・・。 .
秋晴れの下、静まり返る大浦小中学校
かつてはどんな山間の小さな集落にも、結構分校なり、学校があったようです。それが過疎、あるいは道路の開通により、次々と統廃合
で消えて行き、今も各地で学校の統廃合は進んでいます。ところが、大浦小中学校は、今も「休校」扱い。スクールスクールバスを運行
して通学、というわけにも参らない・・・・。そんな隔絶した場所の学校に、掲げられ続けている「負けるな」です。 .
ご覧の通り、"写真作家”への夢は潰えて、今の自分があるわけですが、それもまた「わが人生の使い方」。後悔しておりません。
すべての人に「負けるな」を!
佐多町(現南大隅町)・大泊にて
「夜明けの渚」佐多町・辺塚にて
わが唯一の自慢の作品。隔月刊「風景写真」プリント部門で最優秀賞をいただき
ました。審査員の先生が、コンタックス愛好家だったから・・・という説もあり・・。