「琉球侵攻」と言う言葉は、少しオカシイと私は思っています。
「琉球侵攻」と言う四字熟語だけを見ると、奄美の私のような人間にとってみれば「琉球が奄美に侵攻して来た」と、考えるのが普通だと思うのです。
此の段階では、まだ主語が「薩摩」だとは分からないからです。
「琉球侵攻四百年」と表記されて初めて、「ああ、薩摩が、1609年に、琉球へ侵攻してから四百年か」と、ようやく了解されるのではないのでしょうか。
それも、歴史を理解しているからこそのことであって、奄美の側の我々からは、四百年前に海のかなたから侵攻して来たのは、それは薩摩であり、「薩摩侵攻」に他ならないのです。それ以前の、琉球が奄美に押し寄せてきたのをこそ、「琉球侵攻」と呼ぶべきではないのでしょうか。
私のような奄美の者が、自己の「主体的」な、「歴史認識」を「確立」するには、外側の「理論」により「ネーミング」された、「用語」に対して、奄美の内側からの「まなざし」で、今一度「再検討」を加える作業を試みてから、奄美の側の論理で規定された用語をもって、理論構築が開始されねばならないであろうと思うのです。
しかるに、来年は「琉球侵攻四百年」とされ、また、そう呼ばれて、誰も疑問を持たないのですけれど、奄美に住んでいる者の一人としての私には、「薩摩侵攻四百年」のほうが、妥当な表記となると思うのです。
私が、このことにこだわるのは、次の理由があるからなのです。
奄美の島民は、私冦による、大和や中国への、過去の古い歴史の中での攻略はあったとしても、奄美全域の「公的」な武力集団による、「外側の世界」への侵攻は、なかったはずです。
奄美が、常に、南と北からの侵攻に脅かされてはいたはしても、奄美全域を統括する、島民自身による、組織だった「実力部隊」がいたことはなかったのです。


今、北からの、薩摩藩による「沖縄への侵攻」を、「琉球侵攻」と呼んでしまうと、南からの琉球王朝による奄美への侵攻は、一体、何と呼ぶつもりでしょうか。
自分を「奄美の島の中にドンと据え置いて」、南からと北からの「侵略者」を見据えれば、私の疑問が、少しはご理解頂けるのではなかろうかと思うのですが、如何ですか?


奄美大島が、琉球王朝の支配下にあったのを、1441年(嘉吉元年・正統6年)からとしますと、(『しまのゆ1』1609年、奄美・琉球侵略。南方新社。98頁参照)それ以前の口碑・伝承を含め、少なくとも今から単純計算で四捨五入すると、五百七十年前のこととなります。
従って、「薩摩侵攻四百年」の前にあった「琉球王朝の奄美への侵攻」は、「琉球侵攻五百七十年」と呼べることになります。

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