三島村の歩み


 竹島、硫黄島、黒島の3島が昔から1つの村として存在していたわけではなく、明治初頭の廃藩置県で、現在の十島村(屋久島と奄美大島の間南北192kmに及ぶトカラ列島の島々から構成される日本一長い村)の島々とともに鹿児島県川辺郡に属し、その後の行政区域の変更後も大島郡十島村として役場はトカラ列島の中之島に置かれていました。
 この村にも戦争は大きな転機をもたらしました。敗戦後のアメリカ軍による占領政策で村は北緯30度線で分断され、下7島は占領軍統治下に入り、竹島、硫黄島、黒島だけが鹿児島県に残ることになったのです。しかし、この分断によって残された3島間の絆はますます強まり、昭和21年2月11日には、黒島 大里において『三島村設立委員会』が開催されています。この会議には各島の有志21人が参加し、その場で役場を鹿児島市内に置くことまで決議され、同月24日には早くも開庁しています。 その後、昭和26年下7島が日本に返還されるにともない、それに先だって三島では『正式に十島村から分村すべきか否か』の住民投票が行われ、この結果有効投票数675票中賛成651票と住民の意志が確認されました。昭和27年、下7島が改めて十島村として発足するに際し、分村の行政手続きをとり、『三島村』への村名改称も認められ、正式に法律上も独立した村として発足しました。また、昭和48年にはそれまでの大島郡から鹿児島郡への区域変更があり、鹿児島郡三島村として現在にいたっています。


鹿児島市には、三島村と十島村の役場があります
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