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 人づくり!地域づくり!!の 社団法人 串木野青年会議所です。

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〒896-0013 鹿児島県いちき串木野市栄町16

いちきかるた

い ち き か る た  た 行


    大事な年貢を 預る御蔵


     御蔵

      租税である米を収納する蔵のことである。
     市来小学校の西側、恵比須ヶ丘のちかくにあった。

 


   ちりめんじゃこは 鰯の子     


       ちりめんじゃこ

        いわしの稚魚を塩茹でした後、干したもの。
       ちりめんといわれるのは、平らに広げて干す
       様子が、絹織物の「ちりめん」を広げたように
       見える事から呼ばれるようになったと
       言われている
ようです。  


    土の中から 縄文の足跡


     市来貝塚跡

      縄文時代後期(約4000年前)南九州を代表する
     市来式土器の標識遺跡。オオヤマネコの骨や
     西北九州型漁労文化の伝播を示す
石銛が出土した。


   天気を調べた 文明開化


       アネロイド晴雨計

        大里松原の弓削孫兵衛が明治5年に北海道から
       持ち帰ったもので、上半分が気圧計、
       下半分は水銀温度計になっていて、文明開化時の
       貴重
な資料である。   


    殿様も泊まった 宿場町

     お仮屋跡

     島津藩主が参勤交代の途中に宿泊した
    仮
屋(仮御殿)である。
    現在は、役場西側の石垣だけが往時をしのばせている。
    写真の門は、当時の場所から現在の野田
邸に移され、
    大事に保存されています。


い ち き か る た  な 行




   流れ豊かな 八房川


       八房川

        全長15.5km。八房川の上流には、
       川上貝塚があり河口付近では潮干狩りが
       楽しめる。
       八房川、大里川は共に東市来町の重平山付近が
       源流であり、八房川は北東から町中央北部を
       流れ、大里川は南東から西部を横断して、
       湊町で合流し東シナ海に注いでい
る。


    にっこり笑顔で 市来の子

     市来の子供

      笑顔は心も身体も健康にします。
     ピ
ンチをチャンスに変え、人生を豊かにすると
     いわれています。
     いつも笑顔を忘れずに、家や学校で元気よく
     あい
さつをしましょう。

  


   ぬかるみふんばる 学童田んぼ 


       学童田んぼ

        はじめは慣れない田んぼにおっかなびっくり
       だった学童たちも、次第に長靴をぬいで田んぼに
       入り、泥んこになりながら笑顔で田んぼ内を
       歩き回っていました。
       他にも、自分からすすんで苗を取りに行き、
       植える場所を教えあいながら植える学童たちの
       姿もあったり
と、楽しく田植えを行いました。


    願いが通じた 倒住さあ

     床次倒住さあ

      大雨で大里川が氾濫をおこし、藩主の補助と指導を
     得て工事を行ったが、大雨で何度も壊され、
     現場監督は日吉山王神社のご神託を受け、自らが
     人柱となって工事は無事に完成
しました。

  


   野牧の入口 今は外戸(けど)


       市来野牧

        旧東市来から市来にかけて馬を飼育するための
       野牧があった。毎年4月頃、馬追いを行い
       二才馬を藩へ差し出していた。
       この馬追いは一大行事で皆弁当を持って見物に
       出かけていたという。
       現在の外戸という地名はこの野牧の入口で
       あったことからその名が付
いたと言われている。


い ち き か る た  は 行




    はなもれどんは とぜっどんの墓

     はなもれどん

      「狩人の神」の話に出てくる主人公、とっぜどんと
     又次郎兄弟で、兄が千匹の猪を獲らせてもらう代わりに
     命を捧げる約束を神とした。
     遺体は三方塚の杉の根元に、右の耳は行司塚に、
     左の耳は才野ヶ原に埋めて往来する人の供養の花が
     欲しいと語った。その左耳が埋葬されているのが
     はなもれどんの墓と
いわれている。

  


   ビタミンたっぷり 大里みかん


       大里みかん

        市来のみかん栽培は、当時は庭先で
       栽培する程度の規模であったが、昭和3年の
       周山地区開墾と昭和4年の大谷山開墾を
       もって、集団栽培が
はじめられた。
   


    ふるさと思い たたずむ墓塔郡

     来迎寺跡墓塔郡

      島津初代藩主忠久の生母丹後局の勧請で
     承元元年(1207年)に建立したと伝えられる。
     市来氏歴代の領主の墓も建てられている。
     鎌倉室町時代の墓塔形式を知るうえで貴重
なものと
     されています。

  


   平安美人 丹後局


       丹後局

        丹後局は別名「高階栄子」といい後白河法皇の
       寵姫で、島津初代、忠久の母である。
       丹後局が薩摩へ下向したとき、舟を着けて
       上陸した場所といわれる。
       現
在の市来駅付近。   


    防砂林、砂の害から 畑を守る

     防砂林

      防砂林がない時代は、暴風雨があるたびに畑が砂に
     埋もれたりといった砂の害に悩まされていました。
     今から90年ほど前に整備
が完了し、
     現在に至っております。

  




      あ ・ か ・ さ 行          ま ・ や ・ ら ・ わ 行

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