平成12年度
鹿児島県大学図書館協議会講演会記録

                         鹿児島県大学図書館協議会研修委員
                              小路口良弘(鹿児島大学)

1.テ ー マ : 「鹿児島の出版と書肆−江戸から明治へ」
2.講  師 : 丹羽謙治(鹿児島大学法文学部助教授)
3.期  日 : 平成12年10月16日(月)
4.時  間 : 午後2時〜午後4時30分(講演、玉里文庫の閲覧) 
5.場  所 : 鹿児島大学中央図書館 5階(AVホール、貴重閲覧室)
6.参 加 者 :  9機関29名
7.講演の概要

  今回の講演では、「鹿児島の出版と書肆−江戸から明治へ」という演題で、鹿児島大学
法文学部日本学助教授の丹羽謙治氏を招いて開催された。丹羽氏は、日本近世文学がご専
門で今回の講演では、旧藩時代から明治時代にかけての鹿児島における出版と本屋の変遷、
特徴について、当時の時代背景を踏まえながら、詳しく解説された。
  まず、本論に入る前に、旧藩時代(江戸時代)の印刷方法について説明された。当時、
整版(木版印刷の原理を応用したもの)する際には、主に桜の木が使用され、清書(筆耕)
したものを謄写し、板下を貼り付けて彫刻を行ったことや、1冊の本を作成するのに何百
枚もの版木を使い、色刷りをする場合はさらに多くの板を必要としたことを述べられた。
  当時は出版の際には、原稿、印刷等様々な熟練職人の手が必要であり、時間、手間、資
金がかかったことがわかった。
  次に、旧藩(薩摩藩)時代における鹿児島の出版について、第25代薩摩藩主島津重豪、
第28代斉彬、斉彬の弟、久光を通じて、出版の特徴、時代背景、人物像について解説さ
れた。
  重豪、久光ともに学問好きであり、自らも編纂事業にかかわり、学問上、すぐれた書物
を出版したこと、斉彬が西洋技術の導入のために出版を行ったことなどを紹介された。
  なかでも特に感心したのは、久光が幕末の混乱期にも関わらず、学者を鹿児島に招き、
学問・研究にも邁進していたことであった。久光が学問を好み、和漢の史籍にも通じてい
たことが、展示資料の「職原抄私記」の校正本からもうかがうことができた。
  一方、明治期になると、出版が政治に利用され、活字を組み、決まった様式で印刷され
たものが増えていったこと、西洋文明、廃物毀釈、神道の影響を受け、教科書的、啓蒙的
な出版が多くなっていったことを紹介された。
  最後に、鹿児島における本屋の変遷、当時の天文館界隈の様子について紹介された。
3年前に吉田書店が天文館通りから姿を消したことをきっかけに、丹羽氏は、本屋の歴史
について調査を行っておられ、「本屋のシンボルが消えてしまい私にとってはショックだ
った。」と感想を述べられた。
  以上、簡単ながら当日の講演内容を紹介した。なお、講演終了後は休憩をはさんで、玉
里文庫の資料を見学した。玉里文庫は、島津久光の収集した和書及び漢籍、文書などの数
多くの貴重書からなっており、今回の見学では、これらの資料のなかから、島津久光自身
が補足した資料の他に、薬草類の写生図、琉球使節の行列の様子を描いた図など、視覚的
に楽しめ、興味深い資料が数多く展示されていた。

  玉里文庫展示資料

  1. 成形図説(玉里文庫 天之部19番 465)
      江戸時代の博物学書。島津重豪が曾槃・白尾国柱らに命じて編纂させたもの。
      農業慣行や制度をはじめとして草木・魚介・昆虫・禽獣に関する名称の由来と交渉
      を説き、その採取法・利用法など実際的な知識に言及する。近世薩摩の物産学の集
      大成と呼ぶに相応しい編纂物である。

  2.質問本草(玉里文庫  天之部53番 553[写本]、天之部53番 562[版本])
        江戸時代の博物学者。島津重豪の命による編纂。中国福建省の学者に質問する形
      で、南西諸島産の薬草類の効能等を写生図(彩色)とともに紹介する。著者の呉継
      志は、本書例言によると、琉球の医師に擬した架空の人物である。重豪の死後、曾
      孫の斉彬が志を継いで「薩摩府學藏板」として天保8年(1837)に刊行した。

  3.琉球人行粧之図(玉里文庫 番外)
        慶長14年(1609)年に薩摩藩の支配下に入った琉球は、徳川将軍と琉球国
      王の代替わりのたびごとに江戸への使節派遣を義務づけられていた(慶賀・恩謝使)。
      琉球使節は、中国風に装束をととのえることを求められ、薩摩藩の管理の下で江戸
      へ向かった。本図は、その使節の行列の様子を描いたもので、正史をはじめとする
      琉装の人々126人と行列を警護する薩摩藩関係者394人の計520人を数える
      ことができる。

  4.球人往来筋賑之図(玉里文庫 番外)
     琉球使節が通過する江戸芝口1丁目界隈の様子と幸橋見附の図・大名屋敷の図が描
      かれている。作者の経歴等は不明であるが、跋文には、上月行敬が外祖父栗野盛友の
      例にならい江戸の状況を国許の子弟に知らせるために執筆したとある。

  5.職原抄私記(玉里文庫 天之部 13番388、天之部 86番755)
       北畠親房『職原抄』の注釈書。江戸後期の故実家である栗原信充の著で、慶応4年
     (1868)に薩摩藩によって刊行された。信充は元治元年(1864)72歳の時、鹿児島に
      招かれ、島津久光の知遇を得た。玉里文庫には、版本(755番)と校合本(388番)が
      所蔵されているが、校正は久光本人の手によって行われたことが校合本より判明する。

  6.施治覽要(玉里文庫 天之部 13番383)
    凡例によると、本書の編纂は島津斉彬の命によって行われた事業の一環であり、藩
      の侍臣井上正庸が総裁となり、彫刻木村嘉平に開板させたものである。(最終巻末に
     「木邨嘉平」とある。)内容は、和漢の諸書と博捜し、頭面部・眼目部・耳部など十
      三の部位ごとに、症状および治療法・薬湯の処方等を網羅した医学書である。

  7.南山俗語考(玉里文庫 天之部 88番779、天之部 96番860)
    島津家第二十五代重豪(しげひで)の編。中日対訳語集。文化10年(1813)の出版。 
     中国音は石塚崔高、和訳は曾槃が校閲を行った。江戸時代、唐話学の著作である。

  8.西藩烈士干城録(玉里文庫 地之部 5番2071)
     江戸時代から近世初期にかけて活躍した島津歳久以下島津氏一族・家臣の伝記を集
      録した書物。上原尚賢の編。玉里島津家当主島津久光の浄書本である。