喜界島の文化財

  おもな喜界島の文化財
喜界町の文化財について町誌編纂の為に調査した資料を基にいくつかを紹介します。

喜界町の指定文化財は昭和46(1971)年に18点指定して以来平成13(2001)年までに5回 計34点の指定がさなれたが、
内2点は保管者が町外に転居されて解除されています。
他に8点の天然記念物もあります。  従来町では資料展示室として完備されていなかったので、各家庭に耐火金庫(高さ1m×横60cm)を配って保管して貰っていた。
これでは火災や盗難は防げたが、温度、湿度による傷みを防ぎ、簡単に何時でも見たい人に見てもらうことが出来なかった。
 今まで旧公民館2階に資料室があって農具や生活用具等を展示していましたが、
昨年、温度、湿度の調整が出来る完備した展示室(設計費250万、工事費1970万)に改築し、各家庭の指定文化財をお借りして展示する事になった。
今年になってから各家庭を回って借用展示のお願いをしました、家の宝だから、あるいは神道具だから家から外に出せないと言う方も有って、
32点総てを展示出来ませんが、多くの資料が何時でも見れる様になりました。新年度から公開できるでしょう。

   次に指定文化財のいくつかを紹介します

能面
 能面
廻 猛氏所蔵  塩道
この能面は桐の箱に収められて次のような目録がついている。
1 宮比面  1個
但岩重家累代相伝ニシテ旧藩主御用ニ供シタル面ナリ
右奉納候也
 明治27年8月9日 竹崎 仲之丞
 かぶせてあるあて布には
表に 三光 出目元休 満茂     裏に 元休打
 出目満茂は越前出目家の五代目源兵衛満茂といい、享保4(1719)年67歳で没している。
この面は若い女性を表す小面(こおもと)と呼ばれる能面である。
島津家は能を好み、この面も島津家が使用したもののようである。
現在、鹿児島県には出目満茂の作品は本面だけで他になく貴重な作品と言われている。
 この面は塩道の高千穂神社の金庫に納められているが、戦前高千穂神社の祭礼には神官がこの面をつけて神舞を舞ったと言います。

羽衣
羽衣(ノロの神具)
栗島善次郎氏所蔵  蒲生
 羽衣として指定された着物その他は栗島家に代々継承されているもので、
時代は不明だが襟のつけ方などから桃山以前の貴族階級が着用したものと推定され、生地は中国またはインド産と言われている。
 栗島家の位牌によると、初代は貞享元(1684)年に没したと記載され、文化12(1815)年に82歳で没した高里ノロの名前があり、 その女性が使用したノロの神具ではないかと推察される。
 茶色に染められた着物の他に動物の骨で作られた髪指(かみざし)が2本、うち1本は長さ36cmで、16cmの所で二股に分かれ、 先に木綿糸の飾りが付いていた。他に長さ28cm、幅7・8cmの木製の櫛、孔雀の羽という真っ白な羽を何本も束ねた髪飾りが3本、 傷んで広げられない白木綿の着物が2枚、年代不明の柄のついていない銅鏡が1個ある。
 蒲生集落には羽衣伝説が残っているが、この文化財のノロの神具が羽衣物語と関連づけられて伝承されたのであろう。

 弁財天
御神体(弁財天)
伊実久 厳島神社 御神体
伊実久集落区長管理
この弁財天像は木像で台座と座像の2段からなり、台座に次の様に墨書されている
喜界島與人  玉嶺建立  弁財天
 享保19年甲寅  9月吉日
 薩摩国鳥居平右衛門造焉
作者の鳥居平右衛門は鳥居満孝という世襲面打。安永7(1778)に没している。
鹿児島に現存する作品は、曽於郡末吉町の住吉神社に2面,川内市の新田神社に3面、指宿の揖宿神社に1面残っており、この弁財天像がいちばん早く造られている。
 本像が厳島神社の御神体として祭壇に祀られた由来は不明。
 

      
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