僕は実はトライアスリートだ!

トライアスロン始める前は、25m泳ぐのが精一杯で(死ぬ気で泳いで100m、ほとんどおぼれてる)海に泳ぎに行っても、怖くて足がつかない所では泳げない人でした。

当然マリンスポーツなんて、僕には一生縁のない物だと思ってました。

トライアスロンは大学時代(琉球大学)テレビ新聞等で宮古島大会の事を知り、憧れはあったけど、水泳がネックで在学中は始められずにいましたが、(ダイビングについても同様です)鹿児島で就職して、何を思ったか、まだ泳げもしないのに、1992年指宿トライアスロンにエントリー!

当時ミニコースはなかったので、スイムは1.5km!!申し込んでから大会までの2ヶ月間、必死に練習してどうにか泳げる様になり出場。

そして完走!!

泳ぎにもすっかり不安はなくなり(遅いけど)、何より、何でもその気になれば出来ないことはないという事が分かり、トライアスロンにのめり込みます。憧れの宮古島大会に出場するために!

しかし、なかなか出場できないことに焦りを感じ、次第にオーバーワークになっていきます。そして、1995年夏に腰を故障!

日常生活にも支障をきたす状態で、その後のレースはすべてキャンセル!しかし年末、皮肉にも翌1996年の宮古島の出場許可通知が届く!

どんな状態であろうと宮古だけは欠場できないと、年明けから無理してトレーニングを重ねる。しかし、さらに状態は悪化し、そして最悪の状態で宮古島出場、スイムの段階から腰が悲鳴を上げる、得意のはずのバイクで、どんどん抜かれていく、そしてマラソン、宮古島入りする直前たった3kmのジョグで下半身すべて筋肉痛になるような信じられない状態で、走りきれるはずがない!

42.195km歩きました、、、それでも何とか制限時間内でゴールする事は出来ましたが、初めてレースを途中で投げてしまった何とも言えない挫折感が残りました。

その年から、徳之島に赴任!宮古島に行く前日に偶然知り合ったトライアスリート(その方も宮古出場しました)から、ダイビングを紹介される。腰痛を抱え、以前のようにトライアスロンの練習が出来なくなった私は、気晴らしのほんの軽い気持ちでダイビングを始めました。

ところがダイビングいざ始めてみると、結構奥が深い!いつの間にかどっちが気晴らしか分からないような状態に、、、

そして、いつの間にかインストラクターになっていました。

1999年4月から現在の鹿屋勤務になり、新しく取り入れた腰の治療がうまくいき最近状態もいいので、徐々にトライアスロンのトレーニングを増やしています。当然ダイビングとの両立を計りながら!

宮古島トライアスロン余裕で完走!そしてアフターはダイビングで楽しむ!これが今の目標です

トライアスロンを始めていなかったら、泳げないままだったら、そして腰痛にならなかったら、ダイビングとは一生出会っていなかったかも知れません。

ちなみに、写真は一番調子よかった頃かな、、、、平成6年暮れのセイカスポーツクラブ駅伝大会の時、体重は今よりも10kgほどかるく2区間掛け持ちで走ってたっけ、、、、要するにこの状態を越えるのが目標!この写真を見ながら頑張ってます。

 

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