朝寝・朝酒・朝湯が大好きで
10月6日ライブレポート
BY原口春美
『会津磐梯山』という、ポップアンドキッチュな日本民謡の名曲がある。
「ェエンイヤアーーアア、 会津磐梯山はぁ、宝ぁのォ山よォ」
というイントロだが、若い衆でも音を聞けばわかるだろう。やたらめったら明るくにぎやかな曲である。
歌詞の大筋は「会津(福島県)の磐梯山は金が取れる山で、そこで山師をやって一山あてて、長者(富豪)になった小原という家があったが、その家の道楽息子、小原庄助さんが道楽が過ぎて身上(しんしょう、つまり財産)をつぶしてしまった。」という身もふたもない内容である。
曲の途中でお囃子(要するにラップ)があり、
「オハラショウスケさん、なぁんで身上つぅぶした?
朝寝、朝酒、朝湯が大好きで、そぉれで身上つぅぶした
(ハアもっともだぁーもっともだぁー)」
ね?笑かすでしょ?朝寝朝酒朝湯ぐらいで(ハアもっともだぁーもっともだぁー)とまでいわんでもいいだろう、おい。
この曲は徹頭徹尾シンコペーション(要するに裏打ち)で構成されていて、テンポも速いので、へたに明治以降のくそまじめなクラシック音楽教育を受けた世代にはむちゃくちゃ
難しいらしい。こんなにおもしろくて楽しいのにねえ。
だからとまでは言わないが、そういう人たちはこの曲が嫌いだ。たとえ東北民謡が好きなひとでもこの曲より『南部牛追い唄』(これも相当難しい唄だ)を選ぶ。
南部とは、岩手県南部のことで、『南部牛追い唄』はここの高原地帯で米を牛に乗せて運ぶ牛方の労働歌だ。哀切極まりない世にも美しいメロディーの曲である。確かに名曲である。あたしも大好きだ。
・・・・・・しかしねえ。『南部牛追い唄』を聞いてるとね、気が滅入るのよね。しみじみとするんだけどね。美しいんだけどね。
だから、年をとったらどうかわからないけれど、今のあたしは『会津磐梯山』を選ぶ。
だいたい「朝寝、朝酒、朝湯が大好き」な小原庄助さんてかわいくない?
自分の欲望に忠実でさ。朝寝と朝酒だけだったら、酒くさくてオヤジくさいだけだけど、朝湯が好きなんだよ。きれい好きの洒落者で、女にもてそうじゃない?
唄はさらに東山の温泉芸者が迎えに着たり、雪化粧した磐梯山が振袖を着て(なんと女であったか磐梯山)奈良の大仏を婿取りしたり、キッチュでシュールな世界が展開し、お座敷宴会歌としての面目躍如たるしろものである。
宴会。人生には必要よね。(いや、あたしゃ酒はまったくだめなんだけど。でも宴会好きなの。)
普通にまじめに日常を暮らしててもさ。ほーんといろんなことがあるもんね。金を稼ぐってたいへんだし。うかうかしてるとリストラされたり、借金取りに追われたり、男(女)にふられたり、車にはねられたり、転んで足の靭帯切ったり、愛猫がいなくなったり、愛犬が死んだり、わけわかんない身内の介護するはめになったり。
「もーたくさんだ!ぶちきれてやるう!!」て瞬間が、今これを読んでいるきみ、もしくはあなたにもきっとあるでしょ?
「おのれ、ぶち殺す!」とわめきながら、家の柱を蹴っ飛ばして、痛めた靭帯をさらに痛めてふたたびギプスの世話になったりとかさ。(いえ、これはあくまで例えでございましてよ。すべてフィクションよフィクション。ハラグチは決してそんな・・・おほほほほ。)
現実に他人を殴れば傷害罪で後ろに手が回るし、ぶち殺したらもっと罪が重くなる。そのうえ背負いたくもない良心の呵責とやらを一生背負っていかなきゃならない。
そんなのごめんだからさ、人間、どっかでガス抜きしないとね。いつもいつもがんばって走ってばかりはいられないって。
というわけで、『小原の勧め』である。
ふふ、やはりここにきたか。ハラグチを知る人々はうなずかれたことでしょう。そうである。あたしはARTSライブの小原くんをこよなく愛するものである。『水銀ロック』に日本一おぼれている女である。(何をもってして日本一を自称するのか?こりゃもう言ったもん勝ち、自己申告の世界であるからして。)
「小原くんはARTSのスパイスである。」前も書いたと思うけど、それは今も変わらない。胡椒がなかったら豚も牛も鶏も、お肉をおいしく料理できないでしょう?ライブとか舞台とか、いわば生活の中のお肉、そういう常ならぬ場所には必ず胡椒が必要なの。ぴりぴりした独特の匂いの味が必要なの。そうじゃないとなんだかぼやけた味になってしまうの。
ARTSのライブはすごく質のいいお肉で、それだけ食べても十分おいしい素材なのだけれど、『小原くんという名の胡椒』をかけたほうが抜群に味がよくなるのをいったん経験してしまうと、もう知らなかったときには戻れないの。
中世ヨーロッパでインド産の胡椒が肉料理に使われだすと、もうなかったときには戻れなくて、胡椒を求めてインド航路の開発にはげみ大航海時代がきたというけれど、その気持ちわかるわぁ。
でもね、胡椒だけじゃだめなの。あまりに辛すぎて食べられないの。それどころか体に毒だって。いいスパイスもいい薬もみんなそうね。大量に摂取すると毒なの。ライブの小原くんもそう。大量に摂取すると中毒する。パーカッションでぴりぴりぴりぴり下味を利かせておいて、アンコールで小原コール、どばどばかーーっと小原味、小原くんの持ち味を生かした本当にいい構成だと思う。最近はだんだんそのパターンが減ってきて、ちょっと寂しい。(ああ、そして『ジャングル・ブギ』をもう一度聞きたい)
小原コールをすると日常を忘れる。『水銀ロック!』とこぶしを上げると、怒りもいらだちも吹っ飛ぶ。ライブの小原くんには、それだけのパワーがある。いつもいつも予想の範疇を超えている。
ARTSは大人のSKAバンドだ。それはすごくいいことで、彼らのメンタリティはそこらのジャリバンドでは太刀打ちできない安定性を持っている。だから安心して聞ける。(6日のライブで井上さんがどういうわけか2度歌詞をすっ飛ばしたけれど、そんなことほんとうに珍しいのよ。初めてじゃなかろうか。)
それは、ARTSの一番の武器で、そして一番の敵だ。安心は安定につながり予定調和となる。マンネリになる危険性と隣り合わせだということだ。
「偉大なるマンネリズム」というのも確かにある。磨きぬかれた芸だけが保証する、歌舞伎だの落語だの日舞、能、狂言、クラッシック音楽、バレエ・・・枚挙にいとまがない、歴史と伝統の美しい世界。『南部牛追い歌』の完成された安定の世界。大好きだけれど、でも、それだけじゃだめなの。『何か日常とはかけ離れたもの』が必要なの。『朝寝、朝酒、朝湯』のような、常識人の眉をひそめさせ、思わず『身上つぶして』しまうような麻薬のような胡椒のような快楽が必要なの。
今あげたクラッシックな分野は、それが生まれた当初は、キッチュで下品で婆沙羅で当時の常識人の眉を充分以上にひそめさせたものだった。でも、長い年月がその尖りにやすりをかけて、まろみと安定を感じさせるものになってしまった。年をとるってそういうことで、決して悪いことだけではない。
だけど。ARTSにはまだ早い。「年をとること」も「マンネリズムの美学」も。あたしなんぞが言わなくても、ARTSのメンバーのほうが切実に感じていることだろう。(ああ、このせりふは両刃の刃だ。あたしの文章こそマンネリになってないだろうか。)
最近ARTSは「テイスト・オブ・ハニー」(「密の味」ジャズの名曲ですね。)「蒲田行進曲」など、今までとちょっと違う路線の曲をレパートリーに入れ始めた。どちらもスタンダードで大好きな曲なのですごくうれしい。大茂さんの「ジャミン・ソウル」も素敵。なにか「もう一皮剥こう。」という、絶え間ない研鑚と努力の気配を感じて、「すごいなー。」と思う。
でも小原くんの持っている味は『努力』ではないの。
誤解しないでほしいのは、現実世界の小原くんが『朝寝朝酒朝湯が大好き』だと言っているわけではないのよ。『努力』してないというわけではないの。よく知らないけれど日常の小原くんは、たいへんシャイでかわいくて常識的な青年であります。すごくかたい仕事をしていて金銭感覚もしかっりしているし。空手をやっていたそうで男っぽいところがあるし。(ちとオタッキーはいってますが)
こういう評価を小原くん自身は喜ばないかもしれないけれど(「おれは、濃いいんだあ」とか言って)ほめてるのよこれ。すっごく。
小原くんも社会人、ほんと色々な事がある日常だと思う。そして、みかけより言動よりずうっと大人っぽくて男っぽい彼は、耐えてるんだと思う。我慢してるんだと思う彼なりに。
そのストレスがライブの場で爆発するんだな。耐えかた溜めかたが尋常じゃないために(なんせ濃い男だからね)、爆発も尋常じゃないのね。その尋常じゃない爆発が起爆剤となって、ライブの現場にいる人間すべて(あたしらのことだわ)が溜めたストレスが誘爆して大爆発となる・・・
これが小原アンコールのとき異常に場が盛り上がるシステムだと思う。これはね、なにものにもかえられない才能だと思う。
6日のライブでなんだか久しぶりに『水銀ロック』を聞いてまあ気持ちよかったの何の。
やめられないの。 日常の苛立ちで家の柱を蹴飛ばす前に、他人と殴り合いの喧嘩をするまえに、小原くんの『水銀ロック』が聞きたいの。そして、世界中のみんなにお勧めするの。
「テロる前に小原を聞け!」
THE END
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