誰でもわかる大島紬
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1: 泥染め大島紬ーシャリンバイの煎出液と泥土を用いて染色する、特有の渋い黒字に淡い茶味の白絣文様をあ
らはしている
2: 泥藍大島紬〜絣模様を植物藍で染め、地色をシャリンバイと泥土でそめたもの
3: 色大島〜合成染料でそめたもの、色彩にとみ明るい

大島紬作業工程
世界に類を見ない緻密な絣・泥染をどのようにして作るか。
図案化〜原図(絵)を方眼紙に種別・密度にあわせ点で表現していく、専門の図
案氏がいます
整計・のり張り〜糸を制作する作品にあわせ長さを計り・作業がしやすいように個別にまとめ
まとめたもの天然海藻のりで固め戸外で伸ばし乾かします、作品は少量生産のため全て手
作業です。
泥染め風景 | 絣筵(むしろ)泥染の工程詳細 概要 筵(のり張りした糸を締め加工したもの)を事前に水につけ十分糊落しをし、染液効果は1回だけの揉み込み染色では染色では染着が弱いので、新しいシャリンバイ液と取り替えこれを繰り返します。染める際は田んぼの石や木などに気をつけねばなりません。 工程 第1工程 染→石→染→染→染→石→染→染→染→石→染→染→染→石→染→染→染→石→染→染→染→石→染→染→染→石→染→染→染→乾→泥染 第2工程 染→石→染→染→染→石→染→染→染→石→染→染→染→石→染→染→染→石→染→染→染→石→染→染→染→乾→泥染 第3工程 染→石→染→染→染→石→染→染→染→石→染→染→染→石→染→染→染→石→染→染→染→石→染→染→染→乾→泥染→熱→泥染 ●染ー染液による染色 石ー石灰液浸染 乾ー乾燥 熱ー熱液浸染 泥ー田んぼの泥で染める 染まりが悪いようであれば、同じ工程が増えていきます、またシャリンバイは季節ごと成育する場所によって濃度が違うため染 色コントロールが難しい |
準備加工〜機織のための準備加工(絣を調整し柄を構成する・柄に色を入れる・経糸を設計図とうり並べる![]()
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日本の歴史 年代 大島紬の歴史 飛鳥時代(592) 聖徳太子が活躍する 592 奈良時代(710) 平城京に遷都 710 奈良東大寺や正倉院の献物帳に「南島から褐色紬が献上された」との記録あり。おそらく、奄美に自生する草木染めの反物と思われる。
亜熱帯性気候の奄美は、無霜地域で年中桑の葉が茂り養蚕の適地として織物が盛んであったと思われる。平安時代(794) 平安京に遷都 794 空海が真言宗・最澄が天台宗を開く 805 鎌倉幕府(1192) 源頼朝が鎌倉幕府を開く 室町時代(1334) 後醍醐天皇による新政権 安土桃山時代(1575) 信長、安土桃山上を築く 1576 信長が明智光秀に殺される 1582 江戸時代(1603) 徳川家康 江戸幕府を開く 1603 1720 文献に現れたのは「大島政典録」からで、一定の階級の役人にしか着用を許されていなかったそうです。 1855 「南島雑和」に「織りたてはつやなけれども、程久しくつやでて、いたてよく縞柄も色々あり」と記されていた 坂本竜馬が薩長同盟を結ぶ 1866 大政奉還 1867 明治 東京に遷都 1869 1877 明10頃 真綿の手紬糸・地機・手括り絣・商品化が始まる 1897 明30
練り玉糸使用・製品検査が始まる・絣織締め機登場・高機織機登場・交代締め考案される。
明治34年鹿児島県大島紬同業組合創立(製品検査がなされる)
明治38年商標(旗印)登録オリンピック初出場ー明治終わり 1912(明45) 大正 1912 関東大震災 1923(大4)
方眼紙による図出現・袋締め加工法の考案・本絹糸使用
大13年袋締め式の締め法考案される
昭和(1924) 日米開戦
終戦
1935 昭10頃
1941昭和16年
1945昭和20年
部分的色入り大島紬の出現・藍大島紬、縦横総絣大島紬の出現
昭11年ネクタイ商品が作られる
昭 15年戦争の影響で原料糸が配給制になり柄も決められた
昭20年戦災で消失、大島紬の生産もスットプした、アメリカに統治される
昭 25年ガリオア資金による原料糸が入荷
総蚊絣式大島紬の生産がはじまった
昭28年本土復帰なる
昭29年中小企業等協同組合法により本場奄美大島紬協同組合(現名称)に改称
昭和30年本場奄美大島紬の地球印商標の登録
白大島・色大島紬が生産され始める
昭和33年逆締め加工法が考案されしろ大島に多色入りがよういになった
ベルリンの壁崩壊 1989 昭和64 平成 1989 ソ連邦崩壊 1991 平3 イラク戦 フセイン政権崩壊 2003 平15
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奄美では結婚式・正式行事・成人式などは大島紬着用で参加します。
成人式の写真を少々ご紹介いたします。
中には、成人を過ぎた方もいます。